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こどもの日ですね。

 都会、東京でも表通りから一本裏に入ると、窓のところに小さな”鯉のぼり”が飾られているのを見かけたりします。

 東京へ出てくる前は、結構田舎の地方でしたので、昔ながらの和風建築の大きな家の前の広い田圃に、それはでっかい”鯉のぼり”が立てられていたりしました。それこそ、吹き流しと真鯉、緋鯉、子供の鯉が5つ、というような立派な鯉のぼり。
 男の子がいる家では「五月人形」を飾るところもあるでしょうね。

 祝日法2条によれば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことが趣旨である。1948年7月20日の祝日法の公布および即日施行により制定。ゴールデンウィークを構成する日の一つである。(Wikipedeia)

 今の日本、子供たちの”人格を重んじ”、“幸福をはかる”ことができているのだろうか?って、感じてしまいますね。
 小さな子供たちを育てていこうとする、若い親たちが自分の人生の将来の展望と共に、我が子の将来に大きな希望を自由に思い描くことができるような世の中だろうか?

 原初、人々が集まるコミュニティにおいては、「自分達の約束事」は、みんなで集まって決めてきたものだった。そして、その根底には、”互いを思いやる善なる想い”が前提としてあっただろう。

 若い世代が、自分達の”国”というものに関心を持つ、そんな熱のある国は、たとえ発展途上であっても、そこにはやはり”生命力”のようなものを感じるのです。

 ”国のために”という言葉が語られると、どちらかというと自国のために戦う「戦争」が連想されることが多いと思うけれど、他の国と戦うことだけが「国のため」の行為ではないし、その思いの表現はいろいろな形があると思うのです。

 社会が高度になって、複雑化していく中で、情報の選別が行われ、全てが明らかにされないまま、「私たちの決まり事」が勝手に作られていく。

 そう、いろいろな法律や政府の方針や、本当にいろいろな、さまざまな多くのことが

「おい、それ、誰に断って決めとんねん(怒)」

と、怒鳴りたくなるような場面も、ありますよね・・・。

 ”子供を育てること”って、人生の中での本当に大きな要素で、子供と関わることを通して、自分を育ててくれた親の思いに触れることができたり、子供の何気ない一言で、「はっ!」と気付かされ、自分を省みることができたりもする。

 その子供にとっても、子育てに奮闘している若い親にとっても、人生を色濃く、深く、素晴らしいものにする体験を、より価値のある体験として経験できるような社会や世の中になっていけば良いな、と思ってしまいます。

 2020年から、子供たちが大人に一体どれだけ失望してきただろう?

 大人である僕達が「政治屋」の老獪きわまる人たちに失望してきた、それ以上に、子供たちは「大人」に失望しているのではないだろうか?

 日々を楽しむことを奪われ、思い出すら作ることができずに、青春の何ページかを閉じざるをえなかった彼ら、彼女らは、今日の「こどもの日」を一体どんな気持ち迎えているのだろうか?

 日々の暮らしの中には、いろいろと考えていく必要があることがたくさんあると思う。経済のこともそうだけれど、子供たちの「教育」もそう。

 単に「学校でお勉強すること」だけが教育ではないし、「社会に出てお金をガッツリ稼ぐこと」だけが人生の目的ではない。

 むしろ、人間としてどれだけ”喜び”を感じ、そして分かち合うことができるか?という精神性を育てていくこと、そういったことがとても大切だと思っているのです。


「きみは、いま、幸せかい?」

「きみの夢は何?」

 子供たちと話をすることがあったら、いろいろと聞いてみたいな、と思うのでした。


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