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2022年も後1ヶ月

 毎年のことなのですが、12月になるといろいろと“後悔や反省”が出てくるものですね。

 今年はこれをやりたい。と意気込んで新年を迎えたけれど、2月や3月くらいになるともうそれらは色褪せてしまっていたりする。

 そんなことを何年か繰り返しているうちに、自分の体験や繰り返される日常の中で起こってくる、自分に対して見せられている“変化”や”現実”に対して、

『ああ、こちらへ進んでいけ、というのですね。』

という感じで、“流れに沿う”というか、“委ねる”というか、そういう心の状態が不快なものではなくなっていきました。

自分自身で自分の人生をコントロールする。

ということは、理想的なことのように見えるでしょうし、いわゆる「引き寄せ」的な考え方もそういう一面はあるでしょう。

これは僕の個人的な思いなのですが、人生も半世紀を迎えると、自分にできることに価値を置きすぎることも、自分に価値がないと否定してしまうことも、どちらも良くないなぁ。とふんわりと思うのです。

これは、ルドルフ・シュタイナーの言葉だったと思うのですが、

「われわれよりもっと高次の存在があるという深い感情を自分の中に生み出すのでなければ、われわれ自身が高次の存在へ高まる力を内部に見出すことはできないであろう。」

という言葉があります。

流れに任せるとか、委ねるとか、という表現に“主体性”や“自主性”を感じることが難しく、そのようなあり方に抵抗を感じてしまう人もいるかもしれない。

でも、上に書いたシュタイナーの言葉の中に、「自分の尊厳や自分の力を保持し、それを認めること」を否定する要素は全くない。

自分自身の体験的にも、「自分にできることは何か?」という思いを大切にすること、「自分が望むものは何か?」を常に自分に問い続けることは自分の中で成立する。

その一方で、“より高次の存在”(それを神と言ってもいい)から、自分に対して投げかけられる「問い」や自分に対して示される「導き」がある。ということを自分の内側に見出す、生み出すということは、並立して成立するものだろう。この点においては、僕自身は実感を持っている。

“より高次の存在からのわたしたちを引き上げようとする力”

というものは確かに存在する。と同時に

“より低次の存在からのわたしたちを引き摺り下ろそうとする力”

もまた、確かに存在する。

しかしながら、“魂の存在”としての私たちは、成長し、拡大し、自らの新たな認識へと進んでいくのが常であり、そこに揺るぎない希望がある。

闇が深くなる時、その光の尊さはより確かなものとなり、明らかになる。

それは希望や理想ではなく、事実として認めることができるもの。

その”光”が、私たちの体験の中に、揺るぎなく現れていくようになるまで、後少しなのかもしれない。

今年も残すところ後一月、何かとせわしい時期ですが、自分の思いや、内側の声に耳を傾けることを忘れないように、ていねいに日々を過ごし、年の瀬を迎えたいものです。


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