JOKERネタバレ感想

以下、ネタバレ内容をふくみますのでご注意下さい。

ひどく陰鬱で、最後まで救いのない映画である。全くもってアメコミではない。主人公のアーサーは、脳と精神に病を持ちながらも、老いた母親の面倒を見ながら、貧しい人生を懸命に生きていた。しかし、この映画には主人公の理解者が一人も登場せず、アーサーは闇に染まっていく。悪のカリスマというより、闇に堕ちた人間の映画。

[“笑わせたい”と“笑われる”の違い]

アーサーの望みは、人を笑わせて、ハッピーにすること。ポイントは、笑わせるのであり、“笑われる”のではないというところだと思う。

それは、マレーのTVショーで自分のジョークが披露された時によく描写されている。

「子供の頃、コメディアンになりたいと言ったらみんな笑った。今は誰も笑わない」

アーサーはこのジョークで人を笑わせるはずだったが、実際にはウケなかった。そこでマレーが「まったくその通り」とフォローをいれ、これに観客は笑った。たしかに観客は笑ったのだけれど、そこに起きた笑いは、アーサーが笑わせたのではなく、単にアーサーは笑われたのだ。それは、彼が望むものではなかった。

[そもそもコメディアンに一番向かない人間であった]

アーサーのジョークは、なぜ人にウケないのか。それは、悲しいほどに、アーサーの笑いのポイントが人とズレているからである。なぜならば、アーサーは本当の意味で笑ったことがないから。

突然笑い出してしまう彼の持病は、特定の状況下でしか発生しない。精神的に追い詰められた時、苦痛を感じた時にしか現れないのである。劇中では、虐待時に受けた脳の損傷が原因だと語られるが、苦痛から身を守るために働いたある種の防衛本能が発端となっているのではないか。

つまり、本当の意味で笑ったことのない人間が笑いを理解することなんて出来ないし、コメディアンになんかなれるはずもないのである。そこにこの映画の悲しさがある。

[誰一人、アーサーの話を聞いていない」

路上で悪ガキに看板を奪われ、挙句に暴行まで受けたアーサー。事情を説明するも、雇い主は話を聞いてくれない。

カウンセラーとの会話も同様で、カウンセラーはアーサーの話を聞いていないし、理解もしていない。アーサーはカウンセリングで自我を保っていたというより、投薬でなんとか自分を繋いでいたのだろう。

母親との会話も同様である。母親は手紙のこと(=男のこと)しか頭にないし、アーサーの苦悩なんて眼中にすらないようにも思える。

トーマス・ウェインもアーサーの話をまったく聞かなかった。「ただ話を聞いて欲しい、困らせるつもりもはない、ハグが欲しい」というアーサーの叫びは、どれも真実で、そこに嘘はないのに、1つもトーマスには届かなかった。

この映画は、アーサーの話に耳を傾ける人が、見事に、誰一人登場しないのである。

だから、最後のセリフも納得なのです。突然笑い出したアーサーに、笑った理由を聞くカウンセラー。

「ジョークを思いついて。君には理解できない」とだけ答え、その後の描写からおそらくカウンセラーを殺害したと思われるアーサー。

そりゃそうだ。だって、この映画にはアーサーの話に耳を傾ける人が、理解しようとしてくれる人が一人も登場しないのだから。

[妄想と現実の境界線]

この映画の後味の悪さといえば、ラストの描写で全てが曖昧になってしまうところにある。果たして、どこまでが現実でどこまでアーサーの妄想なのか、本当に分からないのである。細かく検証するために、もう一度観ないといけない映画だなと思った。特にラストシーン。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?