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短い物語『MASK〜私の場合』


私は喉風邪をひきやすい。
寒くなり始めるとマスクを装着して出かけるのが常。
もう長いこと続けているから、強要されて従ってるわけじゃない。
昔は夏場に冷房でやられていたから気をつけているだけ。
油断して喉が乾燥すればウイルスに速攻で攻め込まれてしまう。
とにかく風邪はひきたくない。
偏頭痛の次に嫌だ。

過去に私は数本の映画に出演したことがあるが、その名残りで顔バレしないようにマスクを付けているっていうのも実は間違いではない。
しかし、今日は違った。
昨夜、喧嘩に巻き込まれて殴られたせいで顔が腫れていたから、それを隠すため。
口の中は切れていて、まだ完治していない。
ある日、私は確定申告のために役所に来ていた。
パンデミックを迎えてから、あらゆる場所で
パーテーションを見かけたが、ここも同じ。
多くは透明の仕切りだったが、私は気づいてしまった。
アクリル板の汚れに。
拭き掃除する前だったのかもしれないが、数個の乾いた飛沫が背を向けてしがみついていた。
見ようによっては星図。
いくつかの銀河。
でも見た目は悪い。
小さいから角度によっては見えないし、気づかないとは思う。
もはや当たり前になっているせいか、そこに注目する人はいないだろう。
それでも私は違った。
とは言え指摘するわけではなく、不快だと文句をぶつけたりすることもなかった。
飛沫防止という使命を全うしている証拠だし、仕方ないよねって感じ。

私はデスク上で黙って立ち続けるアクリル板を見つめながら、「マスクを付けて下さい」と謝り続ける人々と、「マスクは付けない」と主張する人々の姿を想像した。
私はお喋りに夢中になると、唾液が飛ぶことがある。
くしゃみはもちろん、無意識に咳をしてしまうことも。
今の時代、配慮しようにも思いやりは綻び始めているから、マスクを付けていなくても息苦しくなる時は少なくない。
ここでも激しい言葉が飛び交っていた時があったんだろう。

口の中で嫌な味がした。
深呼吸がしたくなった。
私は躊躇なく顎下までマスクをずらした。
その時だった。
鼻の奥で防御反応。
私はくしゃみをしてしまった。
堪えることが出来なかった。

しまった。

目の前のアクリル板に注目すると、私から飛び出した飛沫を見事に受け止めていた。
しかし、それが問題だった。
みるみるうちに溶けていくアクリル板。

ごめんなさい。

私は何もすることなく、速やかに役所を出た。 〜終わり

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