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ペースメーカーとギャンブラー

こんにちは!福島選手から熱い想いを引き継いだ山田です。

さて、今回もいつも通り暑苦しいブログをお届けしていきます!

まずは、神奈川県実業団連盟によるタイムトライアル(非公認)が行われ、プレス工業の選手たちがペースメーカーとして参加しましたので、その模様から!

ペースメーカー

当日は1500m1組と3000m各5組に分かれ、中学生から一般の方まで多くのランナーが参加されました。各組、プレス工業の選手がペースメイクさせて頂きました。

PM:山田
PM:赤平選手
PM:橋本選手、グレ選手

緊張感ある良い雰囲気でT.Tが行われ、参加されていた方々も良いトレーニングになったのではないかと思います。僕たちもとても良い刺激を頂きました。大会関係者の皆様、今回は貴重な機会をありがとうございました!

チームは新体制に

続いて新体制のご報告。

ご承知の通り、先日の大阪マラソンをもって福島選手と三宅選手の両名が引退しました。そして、その前の熊日30kmで高田選手、神奈川県実業団駅伝で大川選手が引退となり、今年度は合計4名が退部者となりました。そして、来年度入社の大川歩選手、坂本選手が合流し、すでにチームは新体制でスタートしています。

福島選手の引退に伴い、来年度、陸上部の最年長(35歳)は私1人になりました。そして他チームに目を向けてみても、35歳付近の選手のほとんどは現役生活を終えています。

そんな私ですが、さすがに「年齢」について考える機会が増えました。そこで、今回は35歳の私が「年齢」を重ねることについて、私自身のリアルな経験と考えをお話ししていきたいと思います。

齢35にして「アスリートの年齢」について考える

当たり前ですが、人的・資金リソースが限られているスポーツチームにおいて、強い者がチームに残り、弱い者はチームを去らなければなりません。一般的に長距離の実業団チームにおいては、毎年、大卒・高卒・中途(移籍)の選手がチームに加入し、チームの強化を図ります。そして、年齢を重ねる中で、結果が振るなわない選手はチームを去っていきます。特に30歳前後で引退する選手は多いように感じます。

私自身を振り返ってみると、事実として、この2年間はケガや体調不良の影響でなかなか思うようなパフォーマンスが出せていません。それでも、チームに在籍し、良い環境を与えてもらえることにまずは感謝の気持ちしかありません。その恩返しとしても、これからパフォーマンスを上げ、第一線で活躍すると本気で考えています。

とはいえ、客観的に考えて、アスリートのパフォーマンス低下の原因として「年齢」から目を背けることはできないのでしょう。

ですが、それと同時に、「年齢を重ねる」=「パフォーマンス低下」とは、一概には言えないのではないかとも思っています。(現に1学年上の川内優輝選手が先日の大阪マラソンでセカンドベストを出されたように)

平たく言ってしまえば、年齢を積み重ねることで、マイナス(下がるもの)もあれば、プラス(上がるもの)もある。つまり、マイナスとプラスの綱引きの結果がパフォーマンスに現れると考えています。

具体的に言うと、私自身としては、現段階では「回復力」や「スピード」が低下したとは感じていません。ですが、足の痛みや違和感を感じる頻度は多くなりました。このように、年齢を重なることによる“マイナス”は一つのマイナス因子に過ぎない。今は、それを強烈なプラスで補えば、結果として第一線でも戦える。そんな風に思っています。

では、年齢を重ねることによるメリットとは何なのでしょうか?

よく世間一般的に、年齢を重ねることによるメリットは「経験値」だと語られることがあります。ですが、個人的には、それはあまり本質ではないような気がします。

なぜなら、過去の状況と現在の状況は必ずしも一致しないからです。

例えば、「ベテランだから〜〜に対応できる」や「以前にこの大会では快走した経験があるから相性が良い」といったように外的な因果関係として語られることが多いように思います。

箱根の山登りなど特殊なケースを除けば、陸上の長距離において求められる能力はコースによってそれほど変わらないでしょう。それに1年前と全く同じ状況ということはあり得ないでしょう。むしろ、再現性という意味においてはトレーニングで培った能力をレースに発揮する再現性の方が重要そうです。

私としては、競技経験を積み重ねることによって得られるのは、むしろ内的な因果、つまり「自分に合うものを知る」ということにあるような気がします。そして、それはただ年齢を重ねる中での「経験」から得られるというよりも、試行錯誤の上の成功・失敗体験からの「自己対話の内省」から得られるような気がします。

あくまで私の場合で言えば、「自分のフォームに関して、こんな感覚で動いていると調子がいい」、「走っている最中に自分の身体をこう動かすと気持ちよく走れる」、「この違和感はケガに繋がるからストップする」などといった一瞬の選択は上手になってきているし、それがパフォーマンスにプラスの影響を与えていると思っています。今は敢えて、定量化できない「勘」のようなものを例として挙げましたが、長期的な視野における定量的なトレーニングの組み立て方などについても同じです。

つまり、内省によって「自分の体や心の取扱説明書」を作り上げているとも言えるでしょう。個人的には、それこそが年齢を重ねるメリットのように思います。

トリセツとギャンブラー

とはいえ、「自分の取扱説明書」を完成させれば強くなれる、という単純な話でもありません。

なぜかというと、日々身体のコンディションが変わっていく中で、「自分に合うもの」も変わっていくからです。つまり、時間の経過とともに「自分の身体に合う=プラス」だと思っていたトレーニング(やその流れ)が、「自分に合わなくなる=マイナス」になることもあるということです。

例えば、自分の場合、トレーニングを行う際のメンタリティとして、かつては「気持ちに身体を合わせていた」けれど、今は比較的「身体に気持ちを合わせて」行っています。この微妙なスタンスの違いが、「やりすぎ」でも「やらなすぎ」でもない、「ちょうど良い」負荷を与えるためには重要なことのような気がします。(自分の場合はそのピンポイントを外してケガに繋がることが多かったので)

つまり、競技者にとって、自分の取説を完成させることができないからこそ、常に取説をアップデートさせる必要があるとも言えるでしょう。(ゆえにセルフコーチングには限界があるとも言えると思います)

そんな風に考えると、外的な因果も内的な因果も刻一刻と変化していく、いわばゲームのルールは変化しているからこそ、年齢を重ねるにつれ、「自己理解のために再考する能力」と「そのゲームを楽しむマインド」が求められると思います。

そして、私自身、今はゲームを楽しみつつ、ゲームの後半でプラスが上回ると信じている・その感覚の片鱗に触れている感覚があるからこそ、目標に到達できると本気で思っています。

と、なんだかめちゃくちゃギャンブラーみたいなことを言ってるような気がしますが、アスリートは「人生の貴重なリソースを1点にベットする」という意味においてはギャンブラー的でもあるから、僕たちは年齢を重ねるにつれギャンブラーになっていくのかもしれません。あるいは、元々、ギャンブラー気質がある人が長く競技を続けているとも言えるのかもしれませんね。(ちなみに私は実際のギャンブルはやりません)

さいごに

チームにおいては、年長者として偉そうに自分の考え方を伝えるというよりは、お互いに自己理解のきっかけになる対話をできたらいいなと思います。

長々と書いてしまいましたが、スポーツの世界は結果がすべてです。私自身、今はケガなく順調にトレーニングをこなせているので、来シーズンの自分の走りにワクワクしています。来年度、個人としては東日本実業団駅伝での快走(+予選突破)、マラソンで結果を残すことを目標に掲げています。(その方が自分に合うと思うので、敢えて抽象的に言いますが)競技者として必ず結果を出します。

以上、お読みいただきありがとうございました!

では次回は稲毛選手です!

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