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「Spilling」を見て

「卵のポーズで手を伸ばしたって愛のボートに乗れないから
あなたより良かったらどうしよう だから思い切り舐めて こぼれるほどに」

平成ギャルのひとりごと Spilling こぼれるほどに

2021年晩秋から2022年初冬と思われるJR渋谷駅周辺を歩く風景から動画は始まり、20世紀末の同じ場所を歩く風景に動画は終わっている どちらも背景に表題曲が流れている
インターネット創世期を肌身に感じた世代(30代あたり?)にとってはノスタルジー(またはそれが生み出すエモーショナル)を強く感じる映像だと思う むしろその世代以外の人はどう感じるんだろう?

ブログやBBSがインターネットで情報を得られる媒体の代表だった時代を青少年期に経験した自分にとっては、かなり響きました
自分が小学生だった頃、テレビをつけるとオカルト番組がよくやっていました
めちゃくちゃ怖い!というわけでもなく、「なんとなく不気味」なストーリーが身近に溢れていた気がします
「Spilling」にもその1990年代後半から2000年代初頭のテレビ番組のような「なんとなく不気味」な雰囲気が序盤から感じられました
「インターネットで見つけた気になる曲、しかし曲以外の情報が全く得られない 詳細をインターネットを使って突き止めようとする」
その経緯を話すイントロの語り口がまず抑揚がなく平坦 場面が転換すると、一転よくあるボイスチャンジャーを用いたような音に変声している
本編に向けてのエスコートを、20世紀末の不思議な終末感を思い起こさせる構成にしてあるなと感じました
検索するパソコンの画面を直接アナログで撮影しており、画面がぐにゃ〜っと歪む映像が更に不気味さを増幅させていました(スマートフォンのカメラで直接パソコンの画面を撮ってみると分かると思います)
今は大凡のことがインターネットで検索をかければ情報が得られますが、逆にインターネットに情報の無い文化物は存在しない物と認識され始めている令和感を感じました
存在しないと時代により仮定されている文化物のルーツをインターネットで何とかして探し出す様相が現代を象徴していて痺れました
令和における私的なオーパーツ探しの過程を映像化した作品だと思います
自分の友達のギャルは、知っている曲が流れた時の第一声は「歌お!」です
作品のラストシーンを見て思いました
お前もギャルやったんかい

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