日本初の公害・足尾鉱毒事件はまだ終わっていない

古河財閥の祖・古河市兵衛は、明治の初め、西洋式の近代的技術によって、足尾鉱山の大規模な開発を行った(古河鉱業)。
その結果、深刻な大気汚染(硫黄酸化物)によって周囲の森は立ち枯れ、山は崩壊し、渡良瀬川におびただしい鉱毒(銅化合物や鉛、砒素、カドミウム等の重金属)が流れ込んだ。
富国強兵・殖産興業を是とする明治政府は、この事件(流域住民の死亡や健康被害また農業被害等)を無視し、言論統制を行って、無きものにしようと企てた。マスコミは全面的にそれに加担した。
しかし地元選出の田中正造・衆議院議員ら少数の心ある人々が立ち上がり、抗議活動を行う。
徐々に対策が進められるようになった。
渡良瀬遊水地は、鉱毒を沈殿させ、下流に流さないためのデバイスとして造られた。ということは、今でも池底には大量の鉱毒が堆積していて、何かあればいつでも流出して来るということになる。
抜本的な解決にはなっていない。
すでに閉山している鉱山跡地からも、鉱毒は流れ続けているのである。
この事件の法的な責任の所在が古河鉱業にあると(だけ)認められたのは、何と1974(昭和49)年になってからである。
100年公害と言われる所以である。

私が何を言いたいのか、お分かりの方もおられるに違いない。
今回のmRNA毒物製剤事件に、酷似しているように思われるのである。
足尾鉱毒事件は、ある意味、単純な(解決は困難だが)事件だったし、明治政府の意図も理解できないではない(もちろん認められないが)。
しかしながら、mRNA毒物事件の場合は、製薬会社が一時的に儲かる以外には、誰も得をしないし、何をしたいのか目的が見えてこない。せいぜい、愉快犯によるテロとしか考えられない。精神性と知能のあまりの未熟さ、幼稚さ、そして病的さだけが目立つのである。
遺伝子製剤による災禍は、今後何百年と後を引くかもしれない。
風邪ひとつ、腰痛ひとつ治療できない未熟な現代医学に、ウイルスを操作することなど、出来るはずがなかったのである。人体は小宇宙に匹敵する。我々に出来ることは、せいぜい余計なことをせずに(余計なことをやればやるほど不健康になる)、自然の力を信頼して任すことしかない。我々は生に対する謙虚さを失っていたのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?