シークの音楽

インドに滞在していた時、頭にターバンを巻いたインド人をちらほら見かけたものだ。一般に、インド人はターバンを巻いているものだと思われることがあるようだが、必ずしもそうではない。むしろ少数派である。
子供の頃、カレーのCMで、ターバンを巻いたインド人の姿を目にしたことがあるような、ないような。
ターバンを巻いているインド人は、シーク教徒なのだという。私はシーク教についてはよく知らない。ただ、その音楽の美しさに心惹かれるものがある。それは、ケルトの音楽にも通ずるような、内面性が強く感じられるように思う。それは献身的な祈りに満ちている。それは一体どこからやってくるのであろうか。

インド・パンジャブ州のアムリトサル(甘露の池という意味)は、シーク教徒によって建設された町(現在人口約100万人)であり、シーク教の聖地にして総本山であるハリマンディル・サーヒブ(通称、黄金寺院)がある。私はそこに行ったことはないが、隣接するヒマチャル州(チベット亡命政府がある)までは行ったことがある。
シーク教徒はインドでは少数派で、人口の2パーセントほどだという。それでも14億人の2パーセントというと、2,800万人もいることになる。数の上では、世界第五位の宗教だということになっている。(キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教の次になる)

アムリトサルの黄金寺院には、頭を布で覆い、靴を脱いで素足になれば、誰でも中に招き入れられ、平等に扱われるのだという。礼拝の後には、神饌の砂糖菓子をいただいて、またランガルと呼ばれる食事が無料で振る舞われるそうだ。ヒンドゥーのカースト制度を否定しているので、誰もが平等に同じ座について食事を共にするのを良しとしているということである。そして彼らは、他の宗教を排除することをしない。大きな寛容性がその特徴であるようだ。これを聞くだけでも素晴らしい宗教であると思える。こういった寛容性は実は日本民族のものでもあるのではないだろうか。

彼らは神を信仰するが、その神には形も定まった名前もない、それは真理と呼ばれるのだという。シーク教では、儀式や偶像崇拝や苦行を否定する。寺院に入っても、神の像などはなにもないらしい(ヒンドゥー教が象や猿の神などを祀っているのに比して、独特の美学をもっているように思われる)。面白いのは、彼らには出家ということもないのだそうだ。誰もが世俗の職業に就いて、その上で信仰生活をするということになっている。これは驚くべきことに思われる。何だか大乗仏教に似ていなくもない。出家と在家の差別を認めないということなのだろうか。
道元禅師のように出家至上主義というものもある。どちらが良いという問題ではなくて、それぞれに狙いとするところがあるものと思う。どちらにも学ぶべき点があるのに違いない。
とは言え、最近では仏教で出家と言っても、世俗化(世俗以上に世俗化)しているのを我々は往々にして目にするし、在家であっても、出家以上に純粋で本格的な場合もある。出家・在家とは言うものの、本質的には志ひとつが問われているばかりなのである。ある友人のサニヤシンは、お寺に生まれた人だが、お寺(という家)から出家して、インドでサニヤシンになった、と語っていた。面白いことを言うものである。仏教もいっそのこと、形や姿ばかりの在り方など捨てて、シークのやり方を学んでみたら良いのではないだろうか。

少数派であった彼らは、ことに今のパキスタン(イスラム)との国境に接しているパンジャブにあって、常にイスラムとヒンドゥーの両勢力から、外圧と侵略を受け、耐え続けてきた。その戦いの歴史において、勇猛果敢な性格をも併せ持つようになった。男たちは概して屈強な偉丈夫である。日本のサムライにも通ずるところがあるように思う。

シーク教は、グル・ナナク(1469-1539)によって創められた宗教である。日本でいうと室町時代になる。ナナクは、ヒンドゥー教とイスラム神秘主義のスーフィズムの影響を受け、また宗教改革者であったカビールからも教えを受けた。その上で、ヒンドゥーのカーストという差別を否定し去り、イスラムの攻撃的な排他性からも決別した。大変にラディカルな挑戦であったのだろう。それ故にシークの教えは、インド霊性の上に咲いた稀有な花ではなかっただろうか。インドからシークを取り除くと、何か大事なものを欠いてしまうように思われる。

グル・ナナクの名前を初めて聞いたのは、インドの師匠(OSHO)によってであった(初期の講話に多く出てくる)。
初祖ナナク、二祖アンガド、三祖アマル・ダス、四祖ラム・ダス、・・・と続いて、十祖ゴビンド・シングで途絶えてしまう。正しい教えが続いてゆくというのがいかに困難なことであるかと、師匠は述べている。多くのシーク教徒たちが師匠のもとにやって来たが、彼らは師匠に、いにしえのシークの祖師たちの姿を見出したのに違いなかった。師匠のアシュラムの音楽には、彼らが多大に貢献したのではないかと私は見ている。

以下の詩(マントラ)は、三祖アマル・ダスと四祖ラム・ダスを讃えている。シークの黄金時代であったのだろう。

Ardas Bhaee (あらゆる祈りを超えてゆく祈りが)
Amar Das Guru, Amar Das Guru (グル・アマル・ダスによって与えられ)
Ardas Bhaee (あらゆる祈りを超えてゆく祈りが)
Ram Das Guru, Ram Das Guru, Ram Das Guru (グル・ラム・ダスによって宣言された)
Sachee Sahee (奇蹟は成就した)

https://www.youtube.com/watch?v=GdCZHAWSqO8

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