いま・ここ・自分

禅が問題にしているのは、「いま」・「ここ」・「自分」、この三つ以外にはない、と言われる。
それを離れたら、もはや禅ではないというのだ。公案を見る眼目もこれ以外にはあり得ないのだろう。しかしこれは容易ならざることであるように思う。いま・ここ・自分と、何度唱えても、そこに徹するわけではないからだ。

禅は常に「自分」の問題だ。自分を離れた何か、あるいは誰かを向こうに見て取り合っていては、本質からまたたくまにずれてしまう。「ここ」とは、空間として把握された自己であり、「いま」とは、時間を瞬間的に切り取ったところの自己であるのだろう。

ところでこのような言葉がある。
「馬祖・百丈以前は多く理致を示し、少しく機関を示す。馬祖・百丈以来は機関多く、理致は少なし」
円悟克勤禅師(中国宋代の人。碧巌録の著者)の言葉であるらしい。夢窓国師が「西山夜話」の中に引いて、説明を加えている。国師はここで、理致と機関を殊更に分けて立てること自体が間違いだと言っているようである。理致は道理を示すことであり、機関というのはここでは、実際の働きというようなことだろう。国師の言い分も尤もだろうと思うが、それでもこの文章は面白い事を示しているように私には思われる。

開祖・菩提達磨(ボーディダルマ)から、二祖・三祖と来て、六祖。六祖の下から南嶽(なんがく)・青原(せいげん)の二神足が出て、二つの大きな流れに分かれる。
青原の流れの方からは、後の曹洞宗が誕生する。南嶽からは、馬祖-百丈-黄檗-臨済と続いて行く。
禅は六祖の出現によって、いよいよ中国人のものになっていったと考えられている。その後に引き続いて、天才的な人々が次々とと輩出したために、禅は独自の中国的展開を見せ始める。

馬祖・百丈以前が「理致」を示すというのは、まだそこには幾分インド的・思弁的・瞑想的傾向が残っていたということだろう。馬祖・百丈以後「機関」を示すというのは、禅が思念の世界を踏み越えて、日常の「働き」の中に即、真理を掴むようになったということだろう。これは革命的なことであったかも知れない。
私はこれを便宜的に、馬祖・百丈以前は「空間的禅」、馬祖・百丈以後は「時間的禅」として考えてみたい。空間的・静的・観念的であったものが、時間的・動的・身体的なものになったのである。
どうもここには、TAOの匂いがするように感じられる。仏教だけでは、ここに至らなかったのではないだろうか。

時間的というのは、瞬間性すなわち前後際断(前も後もないまさにこの瞬間)ということである。
これに関して、TAOということで思い出す話がある。それは中国武術の達人が「気」というものを説明して、次のように語っていたというものだ。
「水の中に魚がゆっくり泳いでいる。そこに小さな小石をポンと投げ入れると、魚はサッと泳ぎ去る。一瞬のできごと、一瞬の速さ。気はそれに似ている。それは一般にいう運動神経ではなく、それ以上のものである。」
我々人間は頭の中で常に考え事をしているので、このように即座に反応できない。石が当たってから、ああ石が当ったな、今度はよけなければ、と思うのである。
頭を通さないで、物事に自然に即座に反応できる人がいたとしたら、それは相当な達人と言えるのではないだろうか。

要らぬことを長々と書き綴ってしまった。とりあえず、坐禅中に刻々の瞬間性を覚知していたいものだ、という結論にしておきたい。お粗末さまでした。

(ALOL Archives 2013)

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