峨山慈棹和尚伝 13

峨山慈棹禅師は晩年、古巣・松蔭寺の拝請に応じて、「 槐安国語」(かいあんこくご)を提唱している。槐安国語は大燈国師・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)禅師の語録に、白隠禅師が垂示、著語、評唱を付けたもので、白隠禅師の著作のなかでも非常に難解な漢文語録である。お気付きの方もおられると思うが、その形式は碧巌録と同様である。白隠禅師が碧巌録を超えるような自分自身の碧巌録を書こうとした、ということは容易に想像される。
槐安国語を提唱するということは、白隠禅を継承したことの証であったのだろう。

この槐安国語の法会において、峨山禅師が語った言葉の一部が伝えられている。それは「示衆に曰く」と始まっている。

我れ昔、当山に掛錫(かしゃく)せし時、輪下の龍象、群を成し隊を成す。
禅師の没後、各、化(け)を一方に旺(さか)んにす。
歳月既に往きて、各自に遷化し去る。
何ぞ図らん、我れ不肖、今日高広座に登って宗乗を挙揚せんとは。実に畏懼(いく)すべし。
当今、鵠林(こくりん)の宗風、幾乎(ほとんど)地に堕つ。汝等諸人、努力して真風を挽回せよ。祖庭の秋晩、歎ずべし、悲しむべし。

※掛錫;
※輪下; 林下のことか。各地の禅道場の意味。
※龍象; すぐれた修行者達
※禅師; 白隠禅師のこと
※化; 教化(きょうけ)のこと。教え導く事。
※高広座; 高座。提唱のための椅子のこと。
※畏懼; おそれること
※鵠林; 白隠禅師の別名

峨山禅師、渾身の激励である。四天王や他の方々も遷化し去り、峨山禅師一人の肩に、白隠禅師の仏法の行方がかかっていたかのようである。
普通こうして歎じて終わるのが世の常であるが、この叱咤に応える純粋で真摯な弟子たちがいたのである。
峨山下の五哲と言われる弟子たちが、白隠禅師の仏法を引き継いだ。すなわち以下の五人である。
 愚渓宜快(ぐけいぎかい)
 行応玄節(ぎょうおうげんせつ)
 隠山惟琰(いんざんゆいえん)
 卓洲胡僊(たくじゅうこせん)
 関堂玄哩(かんどうげんり)
このうち隠山と卓洲は、峨山門下の二甘露門と言われ、今日の臨済宗は悉くこの二系統のいずれかである。
隠山禅師の宗風は、機峰峻厳、豪放不羈(ふき;束縛されないこと)で細行に拘らない。卓洲禅師は、道行綿密で、微細のことを忽(ゆるがせ)にしないという家風であった。今日の臨済宗は、両系統の家風をともに学ぶ事が大事であるとされている。臨済宗と曹洞宗が分かれたように、もしかすると何百年かの後には、別の宗派になっているという事があるかも知れない。

松蔭寺・本堂 沼津市原


庫裡

(ALOL Archives 2012)

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