DSの終焉

仏教では八正道というのがある。これはブッダが、最初の説法(初転法輪)において説いたとされているものであり、実践すべき徳目が(段階を追って)述べられている。
八正道はすなわち、
正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定
の八つである。

ヨーガにも、ヨーガの八支則と言って、似たようなものがある。
今回、これを少し見てみたいと思う。

ヨーガの八支則
1 ヤーマ 悪いことをしない(止める)
2 ニヤーマ 善いことをする
3 アーサナ 姿勢・坐法
4 プラナヤーマ 呼吸法
5 プラティヤハーラ 感覚の制御
6 ダラーナ 精神集中
7 ディアーナ 瞑想・禅
8 サマーディ 三昧・悟り

仏教の八正道も、ヨーガの八支則も、段階を追って悟りに至るプロセスが提示されているようである。準備を整えて行って、最後は深い瞑想(悟り)に達するように導かれる。
これらはいかにもインド的そして汎東洋的な、霊性的道行きであるように思われる。改めてこうして見ると、古代から続くインド精神の本質というものは、やはり凄いものだと感嘆せざるを得ない。

八支則が、ヤーマ(悪いことをしない)・ニヤーマ(善いことをする)というところから出発していることは、この道が、多くの命あるものの幸福を願うところの聖なる道であることを示している。
仏教では、ここのところが、
「諸悪莫作(しょあくまくさ)衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」
として規定されている。全く同じことである。
子供でもわかる内容だが、実行することはとても難しい。我々は、たとえ善を為すことは出来ないとしても、せめて悪を止めることが出来たとするなら、それだけでも大した達成だろう。
悪の行為の筆頭は「殺す」ことである。

私は以前に、いま人類が抱えている最も大きな問題は、DSの問題、すなわちDSをいかに終わらせることが出来るか、ということだと述べた。DSの終焉は全人類の悲願となっている。
DSの病んだ精神構造は、ヨーガの八支則とは、正反対の方向性(非精神性もしくは反精神性)を持っているように思われる。
悪いことは為せ、善いことは為すな、ここから出発するなら、すべては邪悪なものになってしまう。

古代インド思想が、人間精神の最も高い頂を示しているとすれば、DSは、人間性の最も低い谷底となっている。彼らは、ほとんどの富や権力を独占し、高い地位を手にしているように見えるが、精神性の観点からは、最下層、これより下はないという地点に位置している。
彼らに精神性という観点は皆無なのであろう。このような在り方を「体主霊従」という。肉体・物質だけが全てであり、それ以外に価値を見出すことはない。

インドに象徴される東洋精神は、「霊主体従」である。
ヨーガの八支則が示しているように、全ては精神の三昧・悟りに向かって収束してゆく。それが意味しているところは、本物の智慧そして、慈愛をこの世界にもたらそうとする強い希求である。

最低最悪の人間性(非人間性)を有するDSが、多くの善良な地球市民を体主霊従的に支配しているという構造がちゃんちゃらおかしいのだ。
下劣な者共は、人々の足下に踏み付けられているべきだ。
遅かれ早かれ、彼らにはカルマの総決算が、凄絶な裁きと言う形で訪れることは間違いがない。DSよ、そしてその手下の者共よ、それを恐れるがよい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?