ルールと価値と伝えること

こんにちは、ぷれまのそー(聡一という名前です)こと北村です。西荻ぷれま委員会の代表をしています。

ルールに関連した投稿をイシイが本日していて、そこにも僕が登場していますが、わたしのサイドから考えたことも投稿しておくことにしました。

ぷれまでは、さまざまな日々に起きることを「仕組み」で解決していこうとしています。頑張るのなかにある我慢の要素は、負のスパイラルを生み活動の継続性を妨げると考え、頑張らずに知恵を集めて工夫をして楽しく続けたい、そんな理想を実現していきたいと考えているからです。

ルールは、わたしたちにとって重要な手段である「仕組み」の1つで、「決まったもの」「守るべきもの」といった側面以上に「決めていくもの」としてぷれまがよく使う大切な道具です。

今日、運転免許の更新講習を受けて、まあ当然ですが交通ルールについて色々と話を聞いていくわけです。これは当然とは言い難いことですが、守ってなかったな(しかも知ってはいたのに)という交通ルールもありました。

はなしかわってぷれまのはなしで、ルールを作っていると作っただけではルールは守られないわけです。外の方にルールを守っていただくことだけでなく、ルールを一緒に作ったメンバーの間においてさえ、作っただけではルールは守られません。

ルールが作るだけで守られないことはあたり前のことで、すぐにおぼえられるわけでもないし、そもそも人はそんなにすぐに行動は変えられません。一方で、ルールを作るときにはその先に作りたいまちだったり、組織だったり、場だったり、関係だったり、「こうなったら素敵だ!」という目指して実現したい「価値」があるわけです。

ではルールが守られないことに対してどうするか、どうやってよくしていこうかという事を考えることになるんですが、伝えあっていくことを続けるというのが現在のぷれまの見解です。メンバーの中では目指していくこうなりたいはある程度共有されていて、きてくれるみなさんとも部分的にでも共有されている。でも、できない、ついなにかしちゃう、それもわかる、得意不得意があるなかで、できなそうなこと、ルールをやぶりそうになるとき、やぶってしまったとき、そういったときに仲間で声をかけていく。

1つ1つ、ルールが守られないときには事情があって、気持ちはわかる、自分もそういうときがあると共感する、しかし、それだけでおわらずにその共感したあたたかい気持ちをもった状態でルールを伝え合う、そんなことをしていきたいなと思っています。

ルールを徹底する方法はいろいろあるんです。毎日唱和するとか、おこるとか、書いておくとか、それしかできないようにするとか。そのなかで、ぷれまは伝え合うことがよいと考えています、それが一番あってほしい世界を共有しながら前向きな気持で行動を変える事につながっていくと考えています。

ここで、話を交通ルールにもどします。個別の状況について、交通ルールを守る意味がないんじゃないかということで守らないことがある自分を講習でふりかえりました。一方で、交通ルールの目指す危険を防止し、円滑な交通を実現するという理想には、共感することだし、そのような世界であってほしいと思うわけです。

交通ルールは、わたしたちのルールよりも対象が広くより多くに関連するため、わたしたちのルールのように合理的じゃないという状況に対してすぐにルール自体を更新することによりルールへの納得感をたかめらえるものではありません。

しかし、共感する理想のためのルールである、そこに敬意を表し、面倒でもルールをより遵守するようにありたい、そして、ぷれまの理想に共感する人たちともルールの遵守を伝えあえるようにありたいと思いました。

ソクラテスの言葉とされる「悪法もまた法なり」という言葉は小さい頃から好きだったということを思い出しながら、世界は一人では作れないということを胸に刻んで、頑張らずに知恵を集めて工夫をして楽しく続けていこうとおもいます。

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