プリキュアオールスターズF

内容に言及しているので未見の方で、
これから観るつもりがある場合は
こんなもの見ずに劇場へ行って欲しいです









本来子供向け作品だという事などを無視した、超偏った個人の感想なので語弊があるかとは思いますが、今作ほど他人の感想に興味の湧かない映画というのも珍しいのでは無いでしょうか。映画の感想だっつってんのに自分の話をし出すヤツはダセー、でも自分について話をせずにはいられない、そんな作品なのかもしれません。

"一部のオタクは何かに苦しんでいる時に見たプリキュアを親だと思う習性がある"
心に残っている友人の発言です。いよいよ明日公開というタイミングで「20周年かぁ…」とこの言葉を思い出しSNSに書いたりしていたんですが、まさにどこかで誰かが、そして自分という巣から落ちたボッソボソの雛鳥が見た、プリキュアを親だと思い込んでしまった数々のシーンがプリキュア20周年というタイミングで大スクリーンにひろがる事になったのです。

名シーンの回想自体が過去作に無かった訳ではありませんが、今回は少々勝手が違う。そもそも「プリキュアオールスターズ」と銘打っているのに関わらずポスターに描かれているのは全体の1/5ほど、外宇宙から来た、自分の強さを知りたいが為にひたすら戦い、滅ぼし続けてきたむちゃくちゃに強い存在に立ち向かうも敗北し、その存在を消される事はどういうわけか免れたが記憶を一部失ってしまった生き残り(という表現は正しくは無いのですが)10数名と妖精たちが、自分達はなんでここにいるんだろうと歩きだし、出会い、旅の終着点で全てを思い出す…というくだりを経て、消されていった仲間達の復活の糸口となる、プリキュア達の記憶や思いの残滓として上記の名シーンが押し寄せてくるのです。現役のプリキュアが、過去に放送されていた先輩にあたるプリキュア達の、かつての絆深まりシーンを目にする演出や、かつての自分を見ている本人が当時を振り返るなど、20周年ともなるとこんなもんが見れるのか映画館で!と震えた。

大勢の人が1ヶ所に集まり、その時間だけ同じもの観て、共通の体験(及び擬似体験)をして、結果何かを持ち帰ることもある。のが映画というもののなんたるかだと思うんですが、今回のそれーープリキュアオールスターズFーーにおいて、クライマックスで次々映し出される過去20年分の名シーンや、ファンなら誰もが1度は想像した、気の効き過ぎたシリーズを超えたプリキュア達の共闘シーンから強く胸に迫ってくるのは、作品を個々に観てきた観客=視聴者1人ひとりのそれぞれの時間や私的な体験、臆面もなく言わせてもらえば「プリキュアと生きてきちゃった私の物語(?)」に還って来た「何か」だった。ように思えてしまった。20年ッつったらもうちょっとした人生みたいなもんですし。

このストーリー、例えば各シリーズのプリキュアが敗北した際に本にされてしまうとか、一旦「虚構である」という形をとらなかった事や、最強の存在の敗因がプリキュアを敵に回した事ただそれだけであったというのも本当に痺れました。

このかつてない強敵が、自分をここまで追い詰めたプリキュアというものに興味を持ち、表面的にその姿や行動を真似てみたりしてもなお理解が出来ず問うてくる「プリキュアとは」「プリキュアの強さとは」、その答えは自分のような者にはもちろん説明できません、印象的なタイトル「F」に準えて「これは◯◯の事ですねー」的な物言いなんて恐れ多いし勿体無く、でも俺は確かに知っているんだプリキュアを、わからないけど見てきたんだ、プリキュアのお陰で今日までどうにかやってきたんじゃないですか、その年月は事実としか言いようが無いんだわ、それもう、ひとつの答えだろ…と、やや錯乱気味なクソエメェ気持ちで劇場をあとにしました。

・人間(この場合プリキュア)を知りたい人でない敵
・プリキュア達が世界を再編する結末

と、端的に好きな要素が強かった上に、「泣かせ」に付き物の臭みが相当取り払われているこれ以上でも以下でも無いバランスと密度で出来上がっているんだから制作はさぞ大変だったんじゃないでしょうか。

50にもなって子供が観るアニメ映画で自分語りとはおかしいですよね、それって自意識過剰と何が違うの?という思いもありつつ。


もしもあなたと逢えずにいたら
私は何をしてたでしょうか
平凡だけど誰かを愛し
普通の暮らししてたでしょうか

帰り道はただうれしくて、頭の中で再生されたのはテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」でした。エンディングでこれが流れちゃってもよかったくらいでした。

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