見出し画像

"かんしゃら1年目のお話"【かんしゃら流 県外から高知のよさこい祭りへ⑤】

5回目のテーマは
「かんしゃらの1年目はどうだったの?」
という話をします。

ぶっちゃけどうだったかというと
「人・お金・経験」全てが不足してました。
本当に大変でした。そんな自分たちの実体験からお伝えできることがあるかはわかりませんが、なんとかやりくりをして高知に無事に行けましたので、そのことをお話しします。

1年目の運営陣と最初の地方車

・人数集め
最初に苦労したのは人数集めでした。
その年は颯戯という京都の大きな社会人チームが最後の高知参加を宣言しており、注目されていました。
かたやかんしゃらはその年の4月に16人ほどでデビュー。認知もそこまでされておらず、6月時点で30人いたかどうか怪しい。。。

そこでやはり頼ったのはツテ。
ファミリーレストランに入って、副代表2人と一緒に友人みんなに踊りにきて!もしくは手伝いに来て!!と声かけローラー作戦を行なったのは今でも覚えています。
そうしてなんとか50名となった参加者。頼れるものはやはり人のつながりだと思いました。

・資金練り
高知に参加してるチームの運営の方は、分かると思いますが、高知に参加するにはべらぼうにお金がかかります。
何せ百数十万円する地方車を各チーム用意する必要があるため。
また会場移動のためのバスのレンタル費。宿泊費。備品。さまざまなことにお金がかかります。
それなのに当時のかんしゃらの高知参加費は登録費、衣装・鳴子を含めて55,000円。プランは2泊3日なのにです。異常なまでの低価格設定をしてしまいました。80人くらいにはなるだろうと楽観的になっていたのですね。説教ものです。

しかし参加者は50名、踊り子は45名ほど。
本来は値上げをすべきなのでしょうが、意地でも値上げをしたくないという方針を貫きたくて、プランや予算をこねくり回すこととなりました。

備品の調整はもう覚えていませんが
プランに関しては
「2泊3日→1泊3日に変更
8/11の夜に夜行バスで大阪に帰る」
として宿泊費をカット。

バスを夜行に変更したため、法律上、8/11の日中はバスは使えなくなり、路面電車をつかって会場移動としました。
なので1日目の8/10はバスがないと行きにくい万々等回ることとし、2日目は路面通り沿いにある会場を回りました。

1年目のかんしゃらの踊った会場。
(今の私なら絶対に回らない回り方してる。下手。)

夜行帰りはしんどくてもうやりたいとは思いませんが、仕方ない事情、他のチームの皆様も最終手段のひとつとしてご活用ください。
なお、この年も含め、6年間かんしゃらは赤字0、運営陣の持ち出しなし。でやってきております。チームを続けるために、優良会計であり続けることは必須です。

・経験のなさ
まず高知担当ですが、この年は私と副代表の2人体制で高知統括を行いました。私が初めてだったためです。
1日目は副代表が、2日目は私が高知を回すスタイルです。
たくさんのミスがありました(笑)
地方車に乗ってるもう1人の副代表が次に行く会場を確認したにも関わらず、別の会場に行き、バスがついても地方車がいない。とか。
時間見積もりを誤ってしまい、最後の会場踊れるか踊れないかの瀬戸際でドギマギする(踊れました)。とか。
地方車がエンジントラブルで夜に修理する事になる。とか。
小さいのも入れると何があったかわかりません。
幸いにメンバーが経験者が多かったため、乗り切れたと思います。
初めて高知に行くチームさんは、もしメンバーに高知経験者がいたら、もしくは普段の祭りでもうまくメンバーをまとめてくれる人がいたら、
班長さんとして踊り子の管理とその報告(体調や行動スケジュールなど)をお任せし、緊急時の対応や最低限の知識の共有をしておきましょう。
高知担当者は沢山くる報告をまとめて処理して、チーム全体のスケジュールや方針にフィードバックする。現場を離れないことに注力すべきかと思います。

これらが担当者目線で見た1年目のかんしゃら高知エピソードです。
苦労と意地でなんとか実現した高知出場でした。
運にも味方され、60回記念枠で追手筋でも踊れました。初めてづくしで、全てが新しかった1年目は達成感がとてつもなく大きな物で、それは今でも抜くことが出来ていません。
そしてこの高知で演舞のレベルは格段にアップしました。それがこの後に神戸よさこいまつりにてかんしゃらがバズり、踊り子数が一気に増えることに繋がりました。
↓良ければ見てください!

かんしゃら 高知城演舞場のyoutube

今回のシリーズで、人脈が武器になると度々言ってきましたが、もれなく私たちもそうでした。
たくさんの友人達が踊りに、もしくはサポーターで来てくれました。颯戯の運営の方々には高知のこと、チーム運営のこと、ブランディング、広報など私の礎となるようなことを沢山教えていただきました。
高知の方々にも地方車や宿の紹介をしていただきました。
沢山の人に支えられてようやく高知で踊れるのだと思います。

かんしゃら
代表 高津みなと

かんしゃら高知 1年目

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?