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東京ジャーミイで感じたことなど

2023年11月。とある平日のランチに、私は好物のフムス(ひよこ豆のペースト状にした、中近東の伝統料理)を2日連続で食べていた。
すると、ごきげんでフムスを食べる私を見た同僚が「あら、フェタチーズ?フムス?フムスといえば、東北沢にオススメのお店があるのよ~ついでに東京ジャーミィも近いから行ってみて!」と素敵情報を教えてくれた。
フムスという(日本では)超マイナー料理にも関わらず、美味しいお店を紹介してくれる同僚、強すぎる。

早速、ダボっとした長袖マキシ丈ワンピースに藍染のスカーフを頭に巻いて、東北沢へ!
ランチは同僚に教えてもらったお店「デリショップ うちむら」さんでフムスとフェタチーズのピタパン、ファラフェルボールをいただいた。全部とっても美味しかった!!!

ランチ後すぐに歩いて東京ジャーミイへ。

モスクへ行くと礼拝の時間ではないのにスピーカーからアラビア語、入口には沢山の靴…。
何故??とオロオロしているとスタッフの方に「インドネシア人カップルの結婚式中です。どうぞ、中に入って見てください」と促された。
…え??知らん人の結婚式に勝手に入っていいの??
結婚式をしばらく見た後、併設のハラールマーケットを見たり、そこでケーキを買って食べたりして、14:30からの日本語ガイドツアーに参加。半日たっぷり東京ジャーミイを満喫した。

ということで以下、イスラム教という宗教への興味と、モスクという建物への興味(東京ジャーミイがというよりは、一般的にモスクとはなんぞや??という興味)を持って東京ジャーミイを見学し、感じたことを残しておく。


イスラムのルールは合理的である

大学時代に教養科目として履修した宗教学の教授曰く、宗教上のルールは(少なくともその宗教が生まれた時と場所においては)どれも合理的であり無意味なものは1つもないのだという。これが私が宗教について理解しようとする時のベースの考え方になっている。(だから、1番最初に書いておく。)

今回のガイドツアーの最初にガイドの方が仰っていたのも、イスラムの教えは合理的である、だから道に迷わないようにコーランを指針として生きるのだというお話だった。
例えばハラルフードは今のような衛生的な環境がなかった時代に病気を避けるためのものだったと考えられている。そして衛生的に肉を食べられるようになった現代でも、肉食による様々な問題が起こりビーガンが広まるなど、結局ハラルの考え方は時代が変わっても普遍なのだ、と。


ほぼトルコ!?な空間

モスクの外も中も、併設のハラルマーケット内も全部異国感満載でトルコにいるみたいだった。トルコ行ったことないから知らんけど(笑)
トイレは洋式とアラビア式両方あって、トイレだけでも中東を感じられる。
モスクは外装も内装もキラキラしてて派手なのに、中に居ると何故か心が落ち着くのが不思議。
そういえば、カトリックの教会もギラギラしているけれど落ち着くのよね。
絵が一切ない礼拝所(偶像崇拝禁止のため、植物やアラビア文字、幾何学の模様が描かれている)であるというのも、私にとって珍しかった。


印象的だった、礼拝の様子

イスラム圏に旅行したことはあるが、その時はモスクの中に入ることができず、集団で礼拝する様子を見学するのは初めてだった。
何が印象的だったのかというと、広いスペースがあるにも関わらず、隣の人と肩が触れる距離、前後の人とは後ろの人が頭を下げると前の人のお尻に触れる距離でギチギチに詰めて並ぶのだ。
え…狭くない?たっぷりスペースあるんだし、間隔空けたくない…?と感じたままをガイドさんに伝えてみると、ムスリムは皆平等だからだなのだと丁寧に教えてくれた(ありがとうございます)。
偉い人が前!お前は卑しいから下がってろ!俺の隣に並ぶな!みたいな考え方はイスラムにはなく、アッラーの前では全員平等。だからモスクに入った順に、前から順番に並ぶのだそう。
座る場所や着るものが立場によって決まっているのが当たり前という感覚が無意識に染みついている私には結構衝撃だった。
(中学生で既に、1年生はグレーのセーターを着てはいけないとか、部室の奥のスペースは3年生が使う、みたいな上下関係があったよね。良し悪しは別として、私が上下関係という文化を学ぶ最初の機会だった。令和の中学生もあるのかしら?)

そしてこの話を聞いて、礼拝前にお清めしなければならない理由を理解した。これだけ人が密集している状態かつ土足厳禁のモスク内では、両手だけでなく顔も足も全部清潔にしていないとたちまち感染症が流行してしまうと思う。

礼拝の時は床のラインに沿って並ぶ


ムスリムは皆平等という視点から

「平等」の話に戻る。
最初に見た結婚式、参列者は正装の人もいれば、ものすごくカジュアルな格好の人もいて、ドレスコードがなさそうに見えた(実際どうなんだろう?)。参列者は各々好きな場所に座っていて、誰でも出入り自由。これも平等を体現している気がするなと思った。
あとは日本人に比較的服装を気にする人が多いのは、やっぱり着ているものが身分を表す側面があるからかななどと考えた。

そしてアラビア語。アラビア語が全く分からない私でも、アラビア文字を美しいなと感じるし、アザーンを聞くと美しいなと感じる。美しい言語。
コーランはアラビア語のみで、他言語に翻訳したものはコーランの解説書的な扱いになるらしい。東京ジャーミイのアザーンも礼拝もアラビア語だったし、結婚式では(私の耳が正しければ)アラビア語→英語→日本語の順で同じ内容を言っていたと思う。
以前アラビア語圏のモスクの周りをうろうろ観光した時よりも、非アラビア語圏でアラビア語が使われている様子を目の当たりにした今回の方が、イスラムにおけるアラビア語の絶対性を実感できた。
この考えはまだふわふわしていて考え中…なのだけれど、やっぱり神様が言語を1つ選んだことで平等が実現できるのかなと思ったりする。その土地の人間の言語に優位性を持たせるやり方はマイノリティにとって居心地の良いものではなくなるし、神様が選んだ言葉はアラビア語だけれども、他の言語が否定されている訳ではないし。モスクにいる多国籍なムスリム(インドネシア人っぽい人が圧倒的に多いけれど)を見てそう思った。


最後に

デリショップうちむらさんのフムスもまた食べに行きたいし、ハラルマーケットで買い物もしたいし、東京ジャーミイ、また行く!!楽しかった!!

イスラムの全てを理解することは、異なる文化の中で育った私にとってとても難しいことだけれど、正しい見方をしたい、正しく理解したい、といつも思っているし、そういう気持ちで書きました。!شكرا

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