十二国記 新作感想(読み終わった方向け)

花子です。

普段は不妊治療のマヌケな話をつづっていますが、十二国記を読み終えて荒ぶっています。どうしようもなくてペンを取りました。

はい感想ですよ!!!!言いたいこといっぱいあるーーーー!!!!

まずページ配分!!

4巻の上げてからの急転直下、その時の残りのページの少なさ!!!!ヒリヒリしました。小野不由美先生のこの手腕はほんと変わらないどころか、18年経てめっちゃ研ぎ澄まされてる!(寒玉!)だってえぐくない?残り厚み5ミリくらいしか残ってなくなかった?「風の万里~」よりひどい。(ほめ言葉)

3巻で怒濤の懐かしキャラと再会が始まりうれしー、うれしーよ~から驍宗さまの登場。やっぱりィィ!!あたし信じてたもんね絶対そうだと睨んでたもんねからの「阿選軍に、届いた」。

最高に盛り上がった気持ちを見事に叩きつぶしてくださいました。小野不由美先生は本当に誠実なお方…。現実の戦はきれいごとじゃなくて、私たちが戦ってきた阿選がなぜ阿選なのかをきっちり書いてくださる。瘴気に覆われながらも怜悧。勝利のための最善を選ぶ。

そしてあと泰麒。脳内はワーワー叫びっぱなし。剣を抜いた、傷つけた!広瀬―!お前良かったなー!!!「魔性の子」では筋を通しきれないメルヘンちゃんとしか認識してなかったけど私間違ってた。いやむしろ、保護者の顔をしてたのに矜持を捨ててて黒い感情を高里くんにぶつけてしまう、現実から逃げたい逃げたいと感じてるのに自覚さえしてなかった一人の弱い男が、泰麒にとってはたった一人、生涯忘れえぬかけがえのない存在だったことが、重要なのかもしれない。

十二国記はそういうとこがある。

王がいて麒麟がいて、とびぬけた傑物ばかりのようだけど、世界を守ってつないでゆくのは、無力で名もない市井の人々だ。去思がそうだ。20代の頼りない若者が満身創痍の意識不明でありながら縁をつないだ。「青条の蘭」がそうだ。命がけで王宮へ荷を届けたかった男は最後街で倒れ、泣きじゃくることしかできなかった。だけどそれが人々をつなぐ細い糸のきっかけになり、荷は王宮に届いた。わずかな善意のなすことの大きさ。

はいそして狼燦ね!!!!!!!!!!

「わーーー図南の翼読み返さなきゃ!!!」読後最初に思ったことでした。狼燦はあまりに理解しがたい、と見えるけど、彼女は黄朱だ。国を追われ、黄海で生きるすべを身に着けた人たちの末裔、朱民と侮られてはいるが実は王と麒麟を必要とせず生きて行ける、国を持たない誇り高い人たち。(頑丘はカッコよすぎるし騎獣めっちゃ萌える。)

狼燦の思考を読み解いてみる。

そもそも、麒麟の威光なんて信じていない。妖魔の一種にすぎない。獣から人形をとり、妖魔を使役するけどこれは自分たちにもできる。人を選び尽くすけど、それと天が関係あるかないかなんて証明しようがない。

確かに王が玉座につけば天の理は正されるけれど、ならば大切なのは王であって麒麟ではないのでないか?黄朱は畑を持たないし、妖魔が出ても対策を取って生きて行ける。年貢をおさめない。だから天の理が命に直結するわけじゃないのかもしれない。

一方で驍宗の臣下だった。忠義を感じていた。阿選がいつか起つことは驍宗と同じく感じ取っていて、それをとどめることは自らの信義に反したのかもしれない。「私は行きたいところへ行く」耶利の言葉だ。個人の自由をなにより大切なものとする意識を感じ、狼燦もそうでないかと感じる。驍宗に忠義を感じるが、阿選の自由にも干渉しない。妖魔の知恵を授けた。よい王になるならどちらでもよい。阿選は驍宗を監禁するだけだといった。

王宮には無数の知識の蓄積があった。狼燦はこれに魅了され王宮に入った。阿選が驍宗の幽閉に失敗し、政をおろそかにしはじめて狼燦は過ちに気づく。ただ天の摂理への不信感と興味は尽きない。

狼燦が狼燦らしくふるまわねば、阿選はあっというまに狼燦を処分するだろう。これまでの不遜な態度を変えず、天への興味はそのままに、阿選のそばの居場所を確保しつづけて、狼燦は白雉が生きている限りいつか訪れる時のために自分にできることをしていた。それは王宮での泰麒の様子とすごくよく似ていると思う。誰一人も信じられない境地で自分だけの戦いをしていた。勝ったところで誰にも褒められぬ。自分のためだけの戦い。

計都を離したあと、狼燦はどうしたのだろう。人の理を超えたところにいる狼燦が、さらに超えてくる驍宗によって、重用されているといいと思う。

ああっ真面目なこと語りすぎた!

はいアホモードもどります!

続く!