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秘密にしていたこと

 3年6組  諏訪府 万太郎

 この高校生活で1番思い出深かった出来事といえば、やっぱり2年の虚像祭で物体転送装置を製作した事でしょう。

 僕は当時、クラスの出し物として物体転送装置を展示する事を立案し、それから設計・組立を主導させて頂きました。当日まで色々な苦労がありましたが、仲間の頑張りの甲斐あってどうにか人を載せられるようにできましたし、何より人気投票で銅賞を受賞できたのは生涯の誇りです。

 けど、僕はみんなに1つ隠し事をしてました。あの転送装置、実は予算との兼ね合いで旧式の転送システム、つまり転送元でスキャンした分子情報を転送先に送信し、これを基に転送物を無から生成させるアレを採用していたんです。ちなみに用済みになった転送元の物体はマイナス次元の海に投棄される設計でした。

 その時はクラスメイトやお客さんにはバレずに済んだけれども、察しが良かったのが担任の流電志先生でした。1日目を終えてホッとしていたところを呼び出され「何か悩み事でもあるんか?」とあっさり見抜かれてしまいました。

 僕は正直に白状して、これは大目玉を食らうぞと覚悟していました。しかし先生の反応は予想外のものでした。流電志先生は自ら物体転送装置の中に入り、中で何度も何度も往復したのです。「ほら、俺は俺のままだぞ、何も変わった所はないぜ?じゃあ問題ないよな」流電志先生はそう僕を励ましてくれました。

 僕は思わず泣いてしまいました。装置が設計通りに動いていたならば、マイナス次元に放り出された流電志先生たちの肉体は生きたまま、ゆっくりと粉みじんに処理されていた筈です。それなのに先生は涼しい顔で、こんな僕のあやまちを全力で庇ってくれました。そのことが本当に情けなくて、けれども心から嬉しかった。

 あれからもう1年半、もう時効だと思うけれども、みんなごめんね。僕はあの経験を踏まえ、今度はみんなを元気にできる科学者になってみたいと思います!


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