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ゴールデンじゃないウィーク

緊急事態宣言。
相次ぐ中止や延期発表。
多大な赤字。

テレビもネットもSNSも気が滅入るような言葉ばかりで
ただただ気持ちが落ち込むばかり。
そして、イライラもする。

国民全員が望んでると思われている
盛大な体育祭のために毎日の楽しみを奪われ
仕事を奪われ、生きる喜びを奪われた人々がいるのは事実。

一切の人々の幸せを踏みいじるような世の中にするのは
果たして合理的な考えだろうか。

去年からそうだが、
精神状態だけでいくと戦争の頃と
人々の生活が全く守られていない今の状況と
レベル的に大差はないのではないだろうか
とも思ったりする。

母から「もう生きる意味ない」
祖母から「もう人生終わったも同然」などと
連絡が来る、この類の絶望感、
味わっている人もきっと多いはず。


資金繰りの問題とか世間体?とか
スポンサーとか場所が区や国の施設だとか
いろんな問題はあるにせよ
この約一年安全に過ごしてきた劇場を
自ら閉める選択をしてる人たちが理解できない。

自ら必要ないよね、対策も間違ってたから
そうなってしまったんだね、と
諦めてるようにしかみえない。

苦しい世の中でも少しでも明るく保つために
夢や希望、そして生きる喜びを与えてくれる場所は
果たして“社会生活の維持に必要のない”
イベントなのだろうか。

だからわたしは政府が決めたことに従うことで
怒りをあらわしたり
苦しみを打ち明けたりする人々の気持ちが分からない。
いろんな内情があるにせよ、
自ら“必要ない”と決めたことに変わりはない。

この一年頑張って対策してみにきていた観客
そしてめちゃくちゃに準備してきた演者
全てひっくるめて安全にステージを作り上げてきた人々を
軽く見ているとしか思えない行為なのに
どうして悔しがったり怒ったりすることができるのだろう。

その客席にいた人特に
何もできないのだからさらに苦しむ。
変えられる立場の人が動いてくれたらなと願うしかない。
少なくとも私は
政府と運営どちら側からもつぶされてる気持ちだ。

「こんなときこそ配信を見よう!」も
「支援しよう!お金落とそう!」もなんか違う気がする。
欲しかったら買うし、欲しくなければ買わない。
もっと素敵な空間があったはずなのになくなった悲しみを
それで補填することのできない人だって多いはずだ。

「言われたから締めました!大変なのでクラファンで支援募ります」
なんてそんなむしのいい話もあってたまるかとも思う。
それ相応の価値があってこそじゃないのか。
訴えるのは自らも苦しみながら時間とお金を作って
足を運ぼうとしていた客席にいるはずの人なのだろうか。

それでもお金を落としたいし
支援したい人がいるから成立するんだろうけど
わたしは理解できないというだけの話。


そんな中一部寄席や映画館などは自らをきちんと
“社会生活の維持に必要なイベント”として
開けることを発表している。

エンターテイメントってこうあるべきでは?と
強く思ってしまう気持ちを置いておいてでも
その心構えがかっこいい。

わからないながらも対策を進めて
なにも起こさずに運営してきた自らを、客席の人を、
自信を持って素晴らしいと褒めているようなもみえる。


いろいろな事情で一筋縄ではいかず
やめてしまっているところも多いだろうが
悔しがったり怒ったりするのはやめてほしいし
これまでの自分の行いが全否定されているようで
そういう面で苦しい、
エンタメがエンタメのせいで死ぬなあ悲しいなあ
という気持ちを記録したくて書いただけ。

ただ自分が思ってるだけで広めようとか
今の状況がどうこうとかではないということも
あわせて記録しておく。

とりあえず多くのおたくと演者の気持ちが通じて
日本をプラスにできるような変革が起こればとも思う。
客席にいるだけの人には念じるくらいしかないのだが。

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