ポエトリー・スラム・ジャパン名古屋大会2017のステージ上で行われた違法行為とその後の動きについて
当時名古屋大会の主宰だった人が声明を出してくれたので、
https://note.mu/jibakyui/n/n24504343ada6
俺も以前よりはっきりと書くことにする
最初に言っておく
「どうして女性が上半身裸になることがいやらしいと言われるの?」という人は、人類の進化の歴史について調べてくれ
「裸で暮らしている民族もいるのに!」という人は、他の民族の文化を尊重できるなら自分の民族の文化も尊重してくれ
2017年に行われたポエトリー・スラム名古屋大会で、一人の女性選手が上半身裸のパンツ一丁になってパフォーマンスを行った
観客の通報を受けて警察が出動
本人は逮捕されたと言っているが、厳密には逮捕ではないらしい
だが、罪名は付いた
それで本人がすぐに謝罪すれば、この事件はここで終わったのだが……
本人のブログ(上記リンク先のリンク先参照)には、謝罪どころか通報した人を責め、自分は悪くないと主張する言葉が並んでいた
それを読んだ多くの朗読関係者がそれに同調し、「通報した人が悪い」「この程度の表現方法も許されないのか」「これが通報されるなら何もできなくなってしまう」「表現の自由の侵害だ!」等、通報した人や警察が悪であると主張した
そして翌年行われた、ポエトリー・スラム・ジャパン名古屋大会2018に、その通報された選手は何のペナルティも与えられずに出場し、なんと優勝してしまった
……さて、ここで問いたい
「特に許可されていない場所で裸になったら通報された」
これは通報した人が悪いのか?
それとも警察が悪いのか?
そんなわけがない
そういったパフォーマンスが行われると告知されていないステージで、自分一人のイベントではない場で、未成年者も含め誰でも入ることができる会場で、裸になることは「許されて当然のこと」なのだろうか
朗読大会という場ならみんなそのくらいのことは想定して見に来るものだという主張があったが、それを想定できる人のほうが特殊なのだとなぜわからないのか
「通報するより運営か本人か周りの人に言えば良かった」という意見もあったが、それはあくまでやっている側の都合であって観客には関係ない
特に、あのパフォーマンスを見た直後に本人に話しかけるなど、できなくてもおかしなことではない
意図があってやったことなら許されるべきなのか
「やった理由」があったのだとしても、それは必ずしも「やっていい理由」になるとは限らない
これを規制することは「表現の自由の侵害」なのだろうか
いや、違う
守られるべき自由には限度がある
限度を超えたやり方だったから、警察に違法行為であると認識されたのだ
やっていいことの範囲で自分の考えを伝えることができるのが表現者だ
法を犯してまで考えを伝えようとするのはテロリストのやり方だ
芸術に警察が介入することの問題点について書いたブログも見たが、それは実際に問題のある表現が行われた事件に関連付けて書くことではない
言葉で表す、絵に描く、写真で見せる、映像で見せるといったものと、生で実物を見せるのは違う
漫画等の表現規制と同じように語ってはいけない
2018年の大会までに本人が謝罪していれば、2017年の事件は過去のことだと言えたかもしれない
だが、それをしなかった
優勝後のスピーチが最後のチャンスだったが、「またここに出させてくれてありがとう」とは言っていたが、謝罪の言葉は無かった
ステージ上で違法行為に及んで通報された選手が翌年の大会に何のペナルティも与えられず他の選手と同じ条件で出場する、というのは公平ではない
当時の名古屋大会主宰の人は悪いことは悪いことだと考えていたが、PSJ全体の運営にその意見は通らなかった
そんな筋の通らない優勝に、多くの朗読関係者が沸き上がった
自業自得で通報された選手を、まるで逆境を乗り越えた英雄のように称賛した
優勝したのは「色々あった人ではない」
「色々やった人」だ
「去年おっぱい出した大会で優勝できた~!!」と大はしゃぎでインタビューに答えていた姿だけは忘れない
そこにいたのは、逆境を乗り越えた英雄などでは絶対にない
悪いことを悪いと思うことすら出来ず、違法行為を擁護し、通報した人や警察を批判し、表現の自由を言い訳に使い、翌年の大会に出場するためのクラウドファンディングに協力した
そんな人達が一体、表現活動の何を語れるというのか
あのパフォーマンスが規制されるなら何もできなくなってしまうという人は、もう何もしなくていい
「共感」が先走ってしまう同業者より、朗読に全く関わっていない人に意見を聞いてみるといい
朗読関係者ではない知り合い数人にこの事件のことを話すと、
「そりゃ通報されるだろ」
「なんでそんな人がまた出場できるの?」
と、もれなく言われた
これが、本来我々が作品を届けなければならない人達の感覚だ
内輪で褒め合うだけで満足したくないのなら、プレイヤー以外のファンを獲得していかなくてはならない
世間の常識に囚われたくないからといって、自分達の常識に囚われていてはいけない
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