どうせ終わりがあるなら始めなければよかった

(一昨年の話)

失恋しました。
昨日の夜までは、品川駅でメルヘンのフルーツサンドを買って朝食べよ〜なんて呑気に考えていた。
その日の夜、おおよそ6年半ほど付き合った彼氏と別れる事なんて露知らずに。

恋人ってなんだ。友達とは違う。
友達とは喧嘩や金銭トラブルなど、こいつとは縁切った方がいいわというようかよっぽどの事がない限り関係は続く。仲良くなった時に、終わりというものを意識することはないし、仮に会わなくなったとしてもまた友達に戻ることは可能だ。

ただ、それが友達を超えて"付き合う"となったらどうだろう。付き合った後のゴールは世間的には「別れる」or「結婚する」のおおよそ2択だ。
そこに「友達に戻る」と言う選択肢もあるだろうが、冒頭話した友達という関係に完全に戻れるかというと、そこにはわだかまりが残ると思う。

6年半前、私たちは付き合った。
その時点で「もし別れたら」「ずっとはないよね」なんて別れた時の心のダメージを緩和できるよう保険にかけたりして、「一生一緒にいてくれや」と言いいながらもすぐ別れるカップルを2人で内心バカにしていたし羨ましくもあった。
たぶん、そこらのカップルよりも「別れる」ことが一番怖かったし心のどこかでは別れることはないだろうな、死別でもない限り結婚するんだと思っていた。完全に怠慢だった。
現実を見ていますよ、ずっと一緒なんて所詮他人だからないよねと、さも人生を分かったように思っていたのにな。

終わりは確かにあった。保険でも自分たちが想定していたことだったのに。あれだけ、人生分かったような気でいたのに。なんだ、心のダメージを緩衝してくれるプチプチは実はなんの機能もしなかったじゃん。普通に傷ついたし、悲しかった。
「出会いと別れを何度繰り返せば僕たち
幸せになれるの」これ加藤ミリヤの歌詞だけどマジで刺さるわ。出会いと別れを繰り返している人たちメンタル屈強なの?それとも相手にそれほど執着しないの?

高校生の時も、この「別れる」「ふられる」と言う類に関しては人一倍センシティブで付き合った彼氏も、婚約前だった好きな人も、告白してきた人も全て自分から離れていった。
今回初めて判断を委ねられた私は気が動転して
距離を置くという選択肢が思いつかず、「もう無理じゃない?」と言ってしまった。
その一言で全てがあっけなく終わった。
24年生きてきて「ふられる」ことへの耐性が全くなく、かかったことはないけどコロナよりキチィ〜、失恋手当か失恋休暇ないとやってらんねぇわ、みんな普通の顔して生きてるけど大丈夫か?
駅にぞろぞろと歩いているけどこの中に何人かは浮気された、とか自分よりもっとcriticalな別れをした人もいるんでしょう。人間って強くできてるわ…と思った。

1つ分かったのは失恋しても普通に食欲は沸くんだなということ
minamiカレーでトリプルカレー(チキン牛サバグリーン)とマンゴーラッシーまでキメたし、LHCでレモンタルトとオーツミルクのカフェラテまで飲んだ。
落ち込んだ人間が食べるチョイスと量ではない。
(落ち込んだ人間が食べるものも知らないが、相場はにゅうめんとかおかゆとか?知らんけど)


トリプルカレーともなると、センターにお米が盛り付けられていて、米とカレーの配分は普通のカレーより難易度が上がる。

一歩間違えれば米なしでトリプルのルーに向き合わなければいけなくなるし、逆も然りでかつて栄えていたトリプルの跡地にただの米がポツンと取り残され、お米の生産者に「ごめんなさい」といって跡地
と米を交互に見てうまく配分できなかった自分の無力さを痛感するのだ。

それはかつて横丁や下町として賑わっていた風情のある街が駅前の再開発やら防災面やらで取り壊され、タワーマンションが建ち、お決まりのららぽーとやらコンビニやら激安居酒屋たちで浸食し、どこにでもある街に成り下がってしまった。
それを止めることができない自分の無力さ、絶望感に似たものがある。

カレーもタルトもすごく美味しかった。食べられたことに安心したが、わたしはどんな状況でも"食欲"というシンプルな欲求を切り離せないことに心からデブなんだなと実感し悲しくなった。歯列矯正をしてもそれなりに痛いが食欲は無くならなかった。でもタルトはさすがに1人じゃ多かった。

カフェの店内で赤ちゃんがギャン泣きしている。
普段は気にならないが、ささくれたいまの自分には
赤ちゃん泣いてるわ、いいな、結婚して子ども産むとか手に入れてんなぁ、確約された未来あっけなく消えたな〜って。いちいちめんどくせえじゃん自分。でも正直にいうと煩わしかった。
ふと思い出して、昨日元カレに電話で話していた
"明日からめっちゃ失恋ソング聴くわ"を実行した。

邦楽だとさすがにやり過ぎだし、歌詞が沁みちゃうし、しんみりしたくはないし、タルトを美味しく食べれないと思ったから、せめて洋楽にした。すると今まで自分と周りがグラデーションのように融合していた世界線がプツッと遮断し、自分とひたすら流れる洋楽の失恋ソングのみに取り残された。

おいおい、英語で何言ってるか分からないけど
なんか悲しそうだな、Sam Smithずるいな、、
ああ、、「失恋ソングだめだわ〜!!!!失恋したこの状況でこの曲聴いたらなんかのPV感がすごい、めちゃくちゃ酔ってんじゃん自分!!」とハッとなった。

加えてこのままじゃいかんと思い、家から持ってきた
僕の人生には事件が起きない:(書)岩井勇気を読んでみたところ、ニヤニヤしてしまう。
棚で家族崩壊する話や、同窓会の魚雷の話、確かに事件は起きていないが、日常で起きる些細なこと・ムカついたこと・価値観に肩を揺らして笑ってしまった。
文章で人を笑わせられるのってすごいよなぁとしみじみ思った。
今日は音楽ではなく本に救われた。
世の中案外なんとかなる。今日から1人、強く生きて行こうと思います。




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