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7/23 2020

物欲が止まらない

 最近物欲が止まらない。

 自分は物欲があまりある方ではないと思っていたが、社会と一体化し給料をもらうようになってからはいろいろなものが欲しいと思うようになった。

 物欲が溢れたきっかけは給付金10万円の使い道を考えた時に普段なら買わないものを買おうと思い、革製のバックとオンオフ兼用の革靴を買ったことだったと思う。

 今までは無印の3000円くらいのリュックとか大学に入る前に買った大衆スーツブランドの1万しないくらいの革靴を使っていたのだが、やはり値段が違うと質とか使い心地などがかなり違うなと感じた。

 そう感じてからは今まで自分が特に気にせず使っていたものの粗や使い古し感が目立って感じられるようになり、色々買い換えて今では身につけるものの殆どを買い換えてしまった。(といっても自分の給料で払える程度なので買い替えたものも普通の人から見れば大した額ではないと思う)

 ほとんど買い換えたにもかかわらず物欲が止まらないので、今は秋冬に着る服なんかを買い換えようかなと考えている。

思考が変わること

 そのような現状があるからか最近は思考が変化することについて色々考える。

 今までは自分は思考が変わることについてネガティブな感情を抱いていた。

 それは自分が高校時代弁論を少しやっていたこともあるのかもしれない。
 弁論で主張には論理に基づく一貫性が求められることを学んだつもりでいるし(僕がそう思っているだけで本当は違うのかもしれないが)、ネットなどで自分の主張が二転三転したことで炎上する人を見るにつけてもやはり主張や思考は一貫することが大事だとずっと思っていた。
 
 しかし身につけるものに関する自分の思考が変化したことでその考えにも疑問を抱くようになった。
 少なくとも考えが変わったことによって自分の生活は明らかに豊かになっているような気がするし、そこでは思考が変わることはポジティブな意味を持つことになる。

 ならば思考が変わっていくことは、すなわち自分の主張ないしその主張を支える自分の価値観がブレることはあまり悪いことではないのかなと最近は考えるようになった。

 おそらく問題は、ブレる原因が外から見えない(あるいは、ブレた原因が自分で感知できていない)ことにあるのだと思う。
 ブレた原因が外から見えなければ主張が一貫していないと炎上するし、ブレた原因を自分が感知できなければ以前との感覚の違いに自分が苦しむことになる。

 大切なのは自分の価値観の繊細な変化を自覚し、適切に発信する能力なのかなと感じた。

 そう考えると絶対的な価値観(宗教的権威など)に自分の価値観をアウトソーシングしてその価値観に従って生きることはかなり合理的な気がする。(もっともそれは既製品でしかないので自分用にアップデートしないといずれ齟齬が出るとは思うが)

 というわけで自分の価値観に悩んでいる人は私からキリストも愛用したというこの壺を買ってみませんか?今ならなんと19万8000円で……

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