紀伊日ノ御埼灯台

画像1 日ノ岬の灯台って言うと、島根の出雲日御碕灯台が浮かぶ方が多い様ですが、灯台の設置は紀伊日ノ御埼灯台の方が先で、出雲は明治36年、紀伊は同28年なのです。しかし出雲が初点灯時の灯台が現役なのと違い、紀伊の方は遷移していて今は三代目が立っています。この写真は二代目。
画像2 初代の灯台はもっと岬の先端側に在り、室戸岬のタイプの鉄造でしたが、大阪への入口になる重要な地点であるからでしょう、米軍機の執拗な攻撃を受け再起不能になり、戦後に場所が替り新築されました。
画像3 その二代目の灯台も、今度は地滑りで危険な状態になり新たな場所に三代目が立っています。撮影の頃は灯台が最もハイテク化されていた時期で、電波により灯台の位置を知らせる“電波標識”が主要な灯台に設置され、その管理のためのパラボラアンテナも目立っていました。
画像4 夕暮れの灯台。最近、新しい灯台に前に移設された句碑が、終戦直後の混乱期の、当時の灯台長の悲しい出来事を物語ります。
画像5 中波の無線標識のアンテナも写っています。フィルムでの5分露光での撮影。夕暮れはだんだん暗くなるので、長時間露光の設定は比較的容易でした。フィルムの場合はシャッターを開放中は電気を使いませんが、デジカメの場合はずっと荷電になる為電池食いになりますね。

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