発掘写真(海)-2・美保関灯台と多古鼻灯台

画像1 まだ撮影スタイルが確立していない頃だったので、カットが少ないのです。でも、美保関はこの分しかないので挙げます。これは門の所ですね…参観灯台ではありませんが、旧官舎がレストランになっているので、観光客は多い。ひとつ前の記事「米子駅」は、多分この訪問の時のだと思います。
画像2 本体全体は撮ってなかった。点検で点灯されていたので撮ったのであろう灯室アップ。禄剛埼や薩南諸島の灯台に見られる、日本人による“ブラントン型”(付属舎が半円形の物)灯台のひとつ。設置当初の名称は「地蔵崎灯台」だったが、類似名灯台との混同を避けるため改称された。
画像3 このタイプ(LB型)の“群閃光”(等間隔ではなく、2〜3回連続して光ってちょっと休む、という光り方)灯器って珍しい?って撮影時はそんなの意識してはなかったけど。灯籠のガラス骨子が三角でもなく方形でもない台形なのが独特。
画像4 オレンジ屋根の建物はレストランになっている旧官舎。設置当時、灯台は“逓信省”の所管だったので、官舎屋根下には「〒」マークが見られます。無人化は昭和37年で、初めに集約化が進められた時期。この頃無人化になった灯台の官舎は残ってない所が多く貴重だが、前述の通り撮影スタイル確立前の為、官舎外観も撮っていなかった。まぁ、でも、この遠景で雰囲気は判る…よね?。旧官舎とその敷地は39年に美保関町(当時)が払い下げを受け観光開発、48年にビュッフェが開業している(境海上保安部資料より)
画像5 こちらは「多古鼻灯台」。島根半島の東寄り、松江の北側にあります。海保や燈光会の資料では特に出ていませんが、気象放送の局が在ったので来てみた、って感じ。なんともシンプルな形だが、戦後に新築や改築になった灯台には、まま見られるタイプと言える。現在の画像を見ると灯室が無くなって、高根島灯台みたく回廊の段が台座になり、そこに灯器が直接立っている。
画像6 昭和27年の設置で、ここも暫くは職員の直接管理がされていた模様。上に架かるワイヤーが気象放送を送信する中波帯のアンテナ、後方には遠隔管理用のパラボラが見えますが、共に今は撤去されています。

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