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Have a Nice Day! 「F/A/C/E」

アルバム「DYSTOPIA ROMANCE 2021」リリースに先立ち「わたしの名はブルー」、「ノスタルジア」、「RIGHT HERE RIGHT NOW」、「F/A/C/E」、と4曲を先行的に公開した。
「F/A/C/E」は他の3曲と違って5年前に制作した曲で、今回アルバムリリースにあたりアレンジを新たにして収録することにした過去曲である。インスタライブで楽曲解説をしようかと思ったんだけど、かなり古い曲ということもあり改めてこの曲を捉えてみたいなと思って今回はテキストに書き起こそうと思う。

「F/A/C/E」というタイトル、これは“顔”を意味する“FACE”の各アルファベットのあいだにスラッシュを入れて「FACE=顔」のパーツをバラバラにするようなイメージでつけた。つまりSNSのためのアプリでの顔写真加工や、顔の整形などの暗喩的タイトルである。岡崎京子「ヘルタースケルター」と萩尾望都「半神」は若い頃に強烈なインパクトを自分に与えてくれた作品で、「F/A/C/E」はその二つの作品を自分なりに解釈しつつSNS的な視界も交えた歌として作っている。現在のような現実世界とネット世界の境界がなくなった中では「自分というイメージや顔」は必ずしも目の前にあるものではなくなっている。
背景をもう少し説明すると「F/A/C/E」はフィクションや物語としての側面が強い歌である。Have a Nice Day!では孤独や悲しみについて描いた曲は多いが、いわゆるコンプレックスやトラウマなど負の感情を基に生まれた曲が少ない。それはオレがダンスミュージックやヒップホップを温床に音楽体験を培ってきたせいかもしれない。パーティーという開かれた密室と、トラウマ・コンプレックスという個人的な密室はオレには相性が悪く思えて、特にHave a Nice Day!初期はこういう歌を作ることを作為的に遠ざけてたと思うし、それがHave a Nice Day!の楽曲の温度感を作っていったと思う。なのでこの曲は個人的な内面の発露ではないからこそ、逆にすんなりと生まれた歌のような気もする。

イメージ、イメージ、イメージできないさ、イメージできない
綺麗、綺麗、綺麗になれないさ、綺麗になれない
イメージ、イメージ、イメージできないさ、イメージできない
悲鳴、悲鳴、悲鳴さえあげることができない

Have a Nice Day!の楽曲は単一視点ではなく複眼的な構造になっていることが多く、この曲でもそれは顕著だ。主要なテーマはこのサビの歌詞に集約されているのでAメロ、Bメロもそこに向かって進行する。

夢の中で 汚れてしまった 私の瞳に映る
あどけない君の笑う声に 戸惑うことばかりさ

Aメロにあたるこの歌詞の“私”と“君”は同一人物である(もしくは自分を投影できる相手か)。ここでの“君”とは“私”にとっての過去の自分、もしくは“私”にとっての失われてしまった自分である。また“夢”とは睡眠における“夢”を意味しつつ、ここでは現実との直面や挫折のことを主に指している。そして深読みしてくれる人がいたらここで“私の瞳に映る”自分を見るためには鏡(やガラス)の前に立っている、という状況設定に気づいてくれたかもしれない。そして聞こえるはずのない"笑う声"を聞いてるので冒頭のこの一節は短いながらも非常にサイケデリックなカタチとなっている。
※自分を映す「鏡」をモチーフにした作品は当然のごとく世界中に連綿と存在しているが、オレにとって近年印象的なのはLCD soundsystem「American Dream」の冒頭で“鏡に映ったボロボロの自分”を見て夢の終わりを実感する描写である。

素晴らしい世界が 僕らを待ってる 誰もいない未来で、ずっと
素晴らしい世界が 僕らを待ってる 誰も知らない未来で、ずっと

Bメロにあたるこの歌詞は自己否定的なサビの歌詞と対になるように希望的な意味を帯びているが、あえて「誰もいない」「誰も知らない」として表現してるのはそれが絶対にやってこない世界・未来だからだ。
もうひとつここで触れておきたいのは、Aメロの主体が単数形の“私”なのに対して、Bメロは複数形の“僕ら”になっている点で。これはほぼ直感的な使い分けなのだが、韓国の映画「オールドボーイ」の中で出てくる“笑うときは世界と一緒、泣くときは一人”という言葉が最もしっくりくる説明な気がする。喜びとは分かち合えるものであり、孤独や苦しみとは分かち合えないものだ、という考えが根底的に自分の中にはあるのかもしれない。

星の光に 溺れた街で 踊りましょう 朝まで
林檎色に 紅く燃えてる 欲望に導かれて

2番のAメロにあたるここの歌詞は非常にHave a Nice Day!的な言葉遊び。キリスト教旧約聖書ではアダムとイブは善悪の知識の木の果実・林檎を食べたことによって羞恥心が芽生え、さらには楽園を追放される。人間が人間らしくいるということは罪である、とされているわけだ。この一節は欲望の肯定、および自己肯定という本来のHave a Nice Day!的な表現に触れている。

アレンジはESME MORIというアーティストが担当してくれた。もともと「F/A/C/E」はアルバム収録予定ではなったんだけど「ノスタルジア」のアレンジをESMEくんにやってもらってからもっと作ってもいたくなって「F/A/C/E」もお願いしたという感じで。実は4/23公開のシングルもESMEくんアレンジで、「わたしを離さないで」以降付き合ってもらってる久保田真吾くんと同様に今後ちょくちょく制作に携わってもらおうかなと思っている。

ざっとこんな感じだろうか。中にはもっと違った視点の歌として捉えてくれている人がいるかもしれない。いつかそんな感想にも出会ってみたいなとも思う。もしそういう人がいたらぜひテキストにしてもらいたい。
さて、久しぶりに文章を書いたが楽しいなと思ってしまったな。シングルのジャケットの絵についても改めて触れたいので4/23のリリースのときもまた書こうかな、と思いました。クラウドファンディングも結局一ヶ月切っちゃったしね。ちなみに現在¥1,090,500集まりました。支援してくれた人マジでサンクス。300万円を集めることが自体が最終的な目的ではないのでこのまま粛々と進みますが見守っていただけたらなにより。5月6日のニューシングルMV公開がオレの目下のところの2021年上半期天王山であります。




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