【#恋の思い出企画】〜彼女の笑顔を追いかけた3年間の話(後編)〜

みおいちさん企画の後編です。


1994年の秋に告白し、Yさんとの交際が始まり、

1995年の5月にYさんから別れ話をされました。

「別れましょう」

ではなく、

「ごめん、他に好きな人ができたの」

でもなく、

いつもとはちょっと違う、

困ったのを隠すような笑顔で、

「友達として好きでもいい?」

言われた途端に、頭が真っ白になりまして…

何を言ったのか覚えてません。

たぶん、「わかった」くらいしか言えなかったでしょう。

帰宅して、親には変な心配をさせまいといつも通り夕飯を食べ…

風呂で湯船に入ったとき、

涙が溢れました。

自分の何が悪かったのか?

もっと好きだって言えばよかったのか?

部活を言い訳にして、2人で遊びに行かなかったからか?

とにかく自分を責めていました。

明日、学校に行くのが嫌で嫌で…。

もしかして、同じクラスだと別れた後に気まずいから、別のクラスになるのを待って別れ話をしたのかな…?

ってことは、あの映画を観た頃から別れ話をしようと思っていたのかな?

とか、とにかく悪いことにしか捉えられませんでした。

野球部の仲間には、翌日に別れたことを伝えました。

「他にも女子はいくらでもいるじゃないか」

とか、そんな適当な言葉をかけられたと思います。

そこからしばらくは、抜け殻のような生活でした。

授業や部活をサボることはしませんでしたが…

楽しくなかったですね。

Yさんへの未練たっぷり…

また話がしたい。

でも、顔を合わせるのも気まずい…




そんな僕を救ってくれたのも、Yさんでした。

校内で久しぶりに会ったとき、

「おはよう」

と笑顔で声をかけてくれました。

まるで、何事もなかったかのように…。

僕が悩んでいたことがアホらしくなるくらい、

Yさんは自然に話しかけてくれました。

時には、廊下で立ち話をすることも…。

付き合っていた頃にもしなかった。

いや、できなかったことです。

そんな様子をいつも見ていた、野球部の同級生N君からの一言。

Yさんへの未練120%の僕にとって、悪魔のささやきでした。






「モトサヤって知っとる?」

なんだ、それ…?

「元の鞘に収まるってこと。復活もあるんじゃないか!?」

「いやいや、そんな簡単にはいかんでしょ」

と口では言いながら、僕の頭の中は

「モトサヤ」

でいっぱいになりました。

とにかくYさんに出逢えば積極的に話しかけ。

廊下でも立ち話。

まさに猪突猛進。






失うものなんて、何もないじゃないか!

そこのけそこのけ、モトサヤが通る。

「人の恋路を邪魔するやつは、馬に蹴られて死んじまえ」

この言葉を覚えたのも、この時期だったような気がします。

自分としては、モトサヤに向けてかなり手応えを感じてまして。

野球部の同級生N君と、いつYさんに告白するのか?の時期を相談していました。

「やっぱり今でもYさんのことが好きだ。もう一回付き合ってください」

こんな言葉を用意していた高校2年生の冬。









破滅というのは道の向こうからやってきたりはしない。何気なく夜道を歩いていて、ふと隣に誰かが並んで歩いていることに気づく。音もなく近づき、薄笑いを浮かべた横顔を見るまでは気づかない。それが破滅だ。

伊岡瞬『赤い砂』(文春文庫)から引用










すべては、野球部マネージャーのFさんの言葉で崩れ落ちました。








「Yちゃんって、M君と付き合ってるんだってー」












僕はバカだ…

Yさんは僕を傷つけないようにしてくれてただけだ…

それに気づかずにモトサヤなんて…

「失うものはない」って思ってたヤツ誰だよ?

希望の糸がぷっつり切れました…




Mは、僕と同じ中学校で、中学3年では同じクラスでした。

もし2人に出会ったら、「気にしてないよ」という態度で接しないと…

そう思っていたのですが…

急によそよそしくなるYさんとM。

2人が話しているところを偶然通ると、バツが悪そうな顔をして、僕から目をそらします。




こっちは気持ちが切れてるよ。

何も考えちゃいないよ。

好きにすればいいじゃないか。





学校行事では、修学旅行があり。

野球部ではない仲間たちで、高校2年の終わりに「告白しようぜブーム」が沸き起こり…

心の奥底にはYさんがいましたが、今さらどうこうしようとも思いません。

何より、校内で出会っても一言も会話をしてませんでしたから。



たまたま課外活動で、同じ班になったDさんが好きだと仲間に伝えて。

別校舎に呼び出してもらい、告白。

自分でも気持ちが入ってなかったと感じました。

Dさんは「他に好きな人がいるから」と言われ。

今では、Dさんに申し訳ないことをしたなと思います。




その後、高校3年となり、

部活では、夏の高校野球。県予選の1回戦で敗北。

その頃、同じクラスの女の子から告白されました。

Yさんへの未練がまだ残っていたのではなかったのですが、

その時は他の誰かを好きになるという気持ちになれず…

「他に好きな子がいるから」

と、お断りしました。

Yさんとは話ができないまま。

同じクラスの子からの告白をお断りしたことで、

「ひどいよねー」みたいなこと言われているんじゃないかと気になり…。

「早く卒業したい」

高校2年の2学期からは、そればっかり考えていたように思います。












でも不思議なことに…


もし恋愛の神様がいるのならば、


その神様に見捨てられていなかったんだと。


そう思える出来事が訪れます。


10月に開催された僕の高校の体育祭。

毎年プログラムの最後は、高校3年生の男女によるフォークダンスでした。


体育祭本番ではなく、

直前に学年全体で行った予行演習に、奇跡は起きました。


フォークダンスの曲は、オクラホマミキサー。


男子と女子が入れ替わりながら踊ります。

僕とYさんのクラスは離れていました。

当日、なぜその配列だったのかはわかりません。

ただ言えることは、僕の視界の端に、Yさんを捉えていました。



オクラホマミキサーは、同じリズムで曲が進むのでいつ終わるのかわかりませんでした。


あと4人…






あと3人…






切れるな、音楽…











切れないでくれ、音楽!











目の前に恥ずかしそうな笑顔のYさんが。

「久しぶり」

「久しぶり」

時間にして、10数秒。

おそらくそんな会話くらいだったと覚えています。


あれだけ悩んだのに…言えなかったのに…

皮肉なことに、別れたあとになって、フォークダンスで手をつなぐとは。



会話ができなくなっていた期間は何だったんだろう?

そう思えるほど、また校内でYさんと話ができるようになりました。

でも、もうモトサヤ狙いではなかったですね。

Mとの交際が続いていたので、当然と言えば当然ですが…。



そのときには、笑って話ができるだけで幸せだったんですよ。

告白する前の、

「フラレて気まずくなるくらいなら、このままの関係がいい」

と思っていた頃とあまり成長がありませんが…😅



体育祭からしばらくして、

「野球部の最後の試合、市民球場に応援に行ってたんだよ。気づいてなかったでしょ?」

少し意地悪そうに、

でも僕が大好きだった笑顔で言われました。



その優しい気持ちがゆえに、

僕に別れ話をした後や、

Mと付き合い始めてからも、

僕以上に悩んで、傷つけないようにって考えてくれてたのかな…


Yさんとは、高校卒業後、まったく出会ってません。

当時はスマホはおろか、携帯電話も持っていなかった時代なので、連絡先も知らないままです。

当時の僕にとっては、メールアドレスやLINEが存在しなかった方がよかったのかもしれません。

もしあったとしたら…

連絡を続ける限り、ず〜っとYさんを追いかけていたかもしれません😅


今では、もう1回会って懐かしい話がしてみたい気持ちと、

このまま自分の胸の中にしまっておきたい気持ちが半分ずつですね。

在りし日の己を愛するために 思い出は美しくあるのさ 遠い過去よりまだ見ぬ人生は 夢ひとつ叶えるためにある 
桑田佳祐『明日晴れるかな』


ここまで読んでいただき、感謝申し上げます🙇

前編と合わせて読んでいただいた方には、かなりお時間をいただいたのではないかと…

そして、最後に企画されたみおいちさんへ。

この企画のおかげで、高校時代を思い出して懐かしい気持ちになることができました☺️

そして、これまでご縁のなかった方々にも記事を読んでいただいてます。

本当にありがとうございました🤩