冬コミ本「橘ありすさんが映画『OPPENHEIMER/オッペンハイマー』をご覧になったようです(仮題)」一部抜粋

宣伝の一環で冬コミの本の内容の一部をお見せします。
なお、本文は映画『オッペンハイマー』の序盤のネタバレになります。
本については全編にわたる内容を解説しています。
あらかじめご了承ください。

2023/12/31 日曜 東 ツ 48b(アイマス島ですが)にてお待ちしております。頒布価格は500円(ご希望の際はスケブ描きます)を予定してます。



■雨とエピグラフ
ありす:学生時代のオッペンハイマー博士。追想ですね。
暗がりの水たまりに降る小雨と波状。それをきょとんと眺める。
今の彼にとっては意味がないものですが、それがゆくゆく彼の人生を苛むものになります。
何故暗いところなのかというとかろうじての「黒い雨」の表現でしょうか。

エピグラフ「プロメーテウスは神から火を盗み人類に与え、そして岩山に鎖でつながれて永劫責め苛まれた」

P:プロメーテウス……ギリシャ神話のか。意味は?

ありす:ちゃんとあります。しかも大いに。
この足音のスタンピングも脅威そのもののメタとして映画で頻繁かつ象徴的に用いられます。

公聴会ですね。
このうつむき顔のインサート、NBCのドキュメンタリー「原爆使用の決定」における
「われは死なり、世界の破壊者なり」といったインタビュー映像そのままですね。
映画の180分弱、キリアン・マーフィーの顔にひたすら注目してください。簡単に言葉にできないのですが凄いです。

●1954年4月 AEC:「1.核分裂(原子爆弾:オッペンハイマー視点)」
P:この部屋は何なんだ?

ありす:AEC(米国原子力委員会)の一室、それも物置部屋です。
オッペンハイマー博士がQクリアランス(米国原子力機密閲覧資格)の取り消しに対し控訴しました。
そのクリアランス更新の可否を問う聴聞会です。AECを事実上追放される瀬戸際ですね。
ただ籍自体はおかれたままにはなるのですが。
実際の聴聞会はAEC調査部長のオフィスだったそうです。

P:閲覧資格取り消し?

ありす:後半に出てくる博士のスパイ嫌疑が関係しています。
仕掛けたのは、モノクロのシーン一発目で出てくるルイス・ストロースです。

◆1959年 6月 ホワイトハウス 上院審議会・控室:「2.核融合(水素爆弾:ストロース視点)」
ありす:この人はAECの理事ですね。商務長官に任命されようとしています。日本でいう経産産業大臣にあたります。
このモノクロのシーンはアメリカの商務長官(閣僚)になるにあたって
オッペンハイマー博士を公聴会にかけたことに対する科学者たちの不信や批判、その経緯から
「この人にこの役職に就かせて大丈夫なのか」と声があったので、上院議員がたが審議する場面です。
ほぼ100票の投票過半数でポスト着任の可否が決まります。
アイゼンハワー大統領に大統領自由勲章をうけていて、ほぼ流れで着任が確定しているところでした。
大統領の推薦なら流れで賛成になるのが大概のパターンですが、しかし今回は風向きが怪しいんです。
「博士の件は今もアメリカを賛否二分してる」、というのは原爆投下の是非ではなく、
著名人の生活を丸裸にして攻撃するやり方が特に自由主義者の反発があったんです。
後半に盗聴で著名人のリスト作って脅迫したことで悪名高い、FBI長官のJ.エドガー・フーバーとかも話題だけですが出てくるので、その辺の空気も関係してます。

で、この映画の構造の白眉ですが、この二人がともに公聴会ないし人生のターニングポイントで過去を回想するという構成になってます。
この対になった二人を主役にした二本の映画を一本の縄のようにまとめ上げていく構成ですね。

P:そんな伝記映画の構成ありかよ……
(まあ『ダンケルク』でも、防波堤の陸軍撤退の1週間/海路の民間船の1日/空軍出動の1時間の3軸構成ってやってたけど)

ありす:ストロースは原作の後半で存在感を発揮しますが、そこに目を付けてこの構成にしてきたノーラン、なかなかやりますね。
やり方が明らかに見せしめだったのでストロースは多くの科学者の反感を買ってます。全員ではないですが。
まあ、この人やられたら100倍返しでやり返すって人なんで科学者たちに恐れられたんですよ。

P:また蛇のような……

ありす:蛇!いいところに目を付けました。後ほどこの話を。

P:ところでなんでサブタイトルが『核分裂』『核融合』なんだ?

ありす:おそらく核分裂を特徴とする原子爆弾の重要人物(オッペンハイマー博士)と
核融合を特徴とする水素爆弾の重要人物(ストロースとエドワード・テラー)を表したタイトルかと。

ちなみにこのストロースって人、『ゴジラ-1.0』にも出てきた「クロスロード作戦」にも関わってます。
まあ後に出てくるグローヴスとニコルズ……というかロスアラモスの科学者の大半もなんですが

P:アイアンマン、ゴジラの裏悪役でもあったんかい!
ところで「神判」といってたけどどういうことだ?

ありす:字義の意味としてはいわゆる有罪無罪を神ないし神職者にジャッジさせる、魔女狩りとか盟神探湯みたいなものです。
『FGO』のセイレム編やってたりジャンヌ推してたらやり口の雰囲気はつかめるはずです。
とはいえ、ここでの神判は最初に「嘘偽りなく」と宣誓させて証人を呼ぶという「雪冤宣誓」にちかいものです。

(以下本編構成についてそれぞれにマークを付け、●:核分裂/◆:核融合として示します。
 月以降の省略に関しては時期不明でわかりませんでした。申し訳ないです。)

●1926年 回想:オッペンハイマー青年時代 ケンブリッジ大留学

ありす:オッペンハイマー博士の回想ですね。ハーバード大を飛び級で卒業して、
イギリスはケンブリッジ大のキャヴェンディッシュ研究所へ留学します。実験物理学の名門です。
パトリック・ブラケットという人に師事しますね。この人実験物理学の権威です。
厳しいけどいろいろオッペンハイマー青年を気にかけてます。

P:オッペンハイマー青年がホームシックになっちゃう。

ありす:生来ナイーヴなんですが、さらに頭の中に変なヴィジョンが見えるけどそれを外に出す手立てがないんですね。
昔交通事故で脳震盪を起こした後、日常的に変な幾何学が見えるようになった人がいましたが、そんな感じでしょうか?

P:で、病んでしまうと

ありす:病んで勢いで教授に食べさせようと毒リンゴ作ってしまうんですよ。
『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明監督/1995-1996/日 以下:『エヴァ』)後半のシンジ君みたいな感じのメンタルです。
原作はいたずら感的に書かれてますが、映画では最初の「罪」として描写されます。
言うまでもなく知恵の実のメタファーです。

少し脱線しますが、この映画はオッペンハイマー博士のあらゆる罪(法律ではなく道徳にもとる)を描写します。
日本人に限らず多くの人は「広島長崎の原爆投下」をクローズアップするでしょうが、
彼の犯した罪はそれだけでなく、他も含めた全体を俯瞰していきます。これが映画を見るうえで大事なんです。

本筋に戻ります。その翌朝の理論物理学者ニールス・ボーア博士との邂逅ですね。
アインシュタインの「神はサイコロを振らない」はこの人にあてられた手紙の一節です。
アインシュタインの反量子力学思想(一部除く)も映画のワンポイントです。なぜそのスタンスに傾倒したのか。

P:ボーア半径の人だな。原子理論の重鎮。相補性原理の主張でアインシュタインの指摘を跳ね返した人だ。

ありす:で、この人がオッペンハイマー青年に一言
「代数は音楽と同じだ、譜面が読めるかでなく音色が聞こえるかが重要なんだ」
これでオッペンハイマー青年は頭の中をコントロールできるようになるんですね。
ここで流れる音楽は映画全体のライトモチーフです。

P:ここで出てきた小説とレコードって関係あるのか?

ありす:一応ありますよ。それぞれ
書籍:T.S.エリオット『荒地』
絵画:パブロ・ピカソ『腕を組んだ女』(ただし脚本内でピカソのどの絵を使用するかは具体的な指示はされていない)
レコード:イーゴリ・ストラヴィンスキー『春の祭典』
どれも当時をしてアヴァンギャルドな表現形態だったんです。彼のヴィジョンを表出する手立てであるとともに
ディレッタントないし神秘主義的なものを好む性格の表現です。
『春の祭典』に関してはプロデューサーもディズニーの『ファンタジア』(ベン・シャーブスティーン/1940/米)はご覧になられてますよね?

P:あの量子世界の粒の表現て、あの宇宙のシーンからなのか?てっきりダグラス・トランブルからかと

ありす:両方でしょうね。
ちなみにオッペンハイマー博士、映画ではなかったことにされてますが、
『荒地』に触発されたポエムを書いて女の子に送り付けたりしてます。
なかったことにされてるのに出したのは、この本の散文詩が彼の頭の中を表現するツールになりえたからでしょうね。
あと、『荒地』はいうまでもなく「地獄」を指しています。この後にいやというほど出てくる。

◆1947年 早春? プリンストン高等研究所:オッペンハイマー博士とストロースの出会い
ありす: ということでプリンストンです。大学じゃなくて高等研究所。
日本でいう理化学研究所みたいなところです。かつてアインシュタイン博士が指導していました。

P: ここでこの2人が出会うわけか

ありす: 一応このときオッペンハイマー博士はまだバークレー在住でした。
1946年にAEC(原子力委員会)が設立されて、博士はそのGAC(総合諮問委員会)の委員長にオファーされます。
原子力運用を軍部から民間の手に移すに際して管理機関が設けられることになるのですが、
ここが原子力の推進と安全面の規制の双方を引き受ける形になりました。
原子力を兵器としてだけでなく、世界平和促進、公共福祉増進、自由競争の強化のために用いるべしという設立理念があります。
ちなみに初代委員長はデビッド・リリエンソールという人です。原子力の発電のような平和的利用を模索していました。
ストロースは5人いるうちの委員メンバーの一人でした。

P: なんかずいぶん互いがよそよそしいな

ありす: ここでオッペンハイマー博士がストロースの本名シュトラウスの南部読みについて質問します。
彼はマンハッタンのエマニュエル寺院の長をやってるほどにいい家柄の出身なんですが、
キリスト教保守派でおなじみアメリカ南部文化も誇りに思ってたんです。それゆえか共和党支持者ですね。
本人はユダヤ教のアメリカ人という認識です。当然シオニズム支持者ではないので、イスラエル建国には反対派でした。
そしてユダヤ人ながら反ユダヤ主義に転向したりしてます。周りに溶け込むためでもありますが二面性ですね。
(たださすがにホロコーストにはちゃんと懸念の立場でした)

あと彼、右目を失明したり腸チフスでヴァージニア大の物理学科に行けなかったりで
父親の事業を継いで叩き上げでのしあがった人なんです。

P:でも何で靴売りなんだ?

ありす:ルイスの祖父がリーヴァイ・ストラウス(ストロース)。
まさにジーンズを発明した人、「Levis(リーバイス)ジーンズ」の創始者です。
つまりゴールドラッシュと鉄道事業の時代に服飾事業でのし上がった一族なんですね。

P:南部がお得意先なわけだ……。
(この空気は『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(ポール・トーマス・アンダーソン監督/2007/米)あたり見てもらえればいいか)

戻ります。失明が原因で兵役検査の丙判定に類しながらその後米海軍に予備役で潜り込むことに成功します。
そこから少将の地位に上り詰めた稀な人で、そこから「提督」と呼ばれたいと思ってます。苦労人なんですね。
さっきのシーンで上院補佐官に訂正をもとめたのはそのためです。

オファーっていうのはヴァージニア大のことですね。博士に詳細は説明しませんが。

P: プライド高いな…

ありす: そうでなければストロースは科学者まるごと敵視しませんよ。
ちなみに戦前に両親をがんで亡くした経験からもうけたお金を放射線治療に投資します。
この研究にレオ・シラードが関与していたのでそこが彼と原子関連との最初のかかわりだったそうです。

P: アインシュタインとの邂逅だ。
『戦場のメリークリスマス』(大島渚監督/1983/日・英・豪・新)のローレンス中佐(トム・コンティ)だ。
ノーランのフェイバリットの一つだね

ありす:アインシュタインの青ざめと怒りの態度。

P: 何があったんだ?

ありす: 映画の最後にわかります。しかしこれがオッペンハイマー博士とストロースの因縁のはじまりになります。
博士がわざわざ「自分の経歴を疑え」って言ってきてますね。

P: また何のために…

ありす: これもあとでわかります。覚えておいてください

P: ぐぬぬ…

ありす:このオファーを受けて、オッペンハイマー一家は
バークレーからオールデン・メイナー(プリンストン高等研究所の敷地内)に移住することになります。

(続く)