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パワフルえりこです!
Change to FUN!Change to SMILE!
パワフルえりこ です。
パワフルえりこって、誰だ?という方に自己紹介させてください!
英語の先生、ママ、妻、4ヶ国語、駐在6年間、バックパッカー駐在などいろいろありますが、私の笑顔の源は自分、家族の笑顔!
2010年生まれの男の子、2012年生まれの女の子と夫の4人家族。
わちゃわちゃと子育てをしながら、幼・小・中・高まで、「英語を教えることで世界をつなぐ」をモットーに英語を教えてきました。これまで保育園や地方の公立小学校から都内のバカロレア認定校、中高一貫まで、オンラインでも英語を教えています。
実はコンプレックスいっぱいの小学生時代
生まれは福島、育ちは埼玉県。小学校の頃は韓国・ソウルで6年間の日本人小学校。帰国後は中学から大学まで日本で育ちました。
私は、クラスではあまり取り柄のないタイプの小学生でした。運動も足の速い妹に比べ、いつもリレーはビリ。この人生1度も逆立ちができたことがないwというくらい鉄棒はできない。「スポーツ」では活躍のチャンスはない。しかも、小2くらいからメガネをかけていて「メガネザル」と男子にからかわれ。まあそんな感じで、いつも鏡の中の自分に「大丈夫だよ!あなたは大丈夫」と声をかけていたのを覚えていますwww
勉強も、韓国に引っ越し、空港に着いた初日から「肺炎で入院」。全くわからない状態。。からの、小学校1年生の夏休みは「夏休みの涙の補修授業」。
賢い子がいっぱいの日本人学校で、私は特に目立った部分もなく、次第に「私は勉強ができないんだ」「あたしはできない方なんだ」と。漢字の宿題は「弟がノートにいたずら書きしてできませんでした」というような有様で。いつもどうやって宿題をサボるかばかり考え、ランドセルの前ポケットはいつもパンパン。悪い点数のテスト用紙が「これでもか〜〜!!」と小さく折り畳まれて詰め込まれた状態でした。
私を救ったのは英語。しかし。。。
「2、3、2、3」のアヒルが歩いてるような成績から、光が見えたのは、日本に帰国し、中学に入り、英語がスタートしてからのこと。私はそこから、自分が変わり始めたのかもしれません。英語が大好きになりました。しかし、この中学生の時の先生が・・・
今日はここまで😌
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