夕やけに降りてきたジジ
二〇一七年九月十二日火曜日
雨のち夕やけ
音がして、起きたかなと襖を開けると慌てているという様子ののんさんが急いで玄関に向かい「くつ、くつ」と外に出たがる。
雨もあがっていたから、夕方のお散歩へ出ることに。「くじら山登らない?」と行く方向を指さしてのんさんに訊ねると、「こっちこっち」。山を指さして向かおうと手をひく。くじら山に生える草はのんさんのひざ以上、足の長さと同じくらいの丈。真正面から策を練ることなくただただ足を上げて進んでゆく。
のんさんのそのタイミングで降りはじめて、そのままに「ふーふー」と言いながら手をひく。以前しゃぼん玉を吹いたところに向かおうとしているのだ。(たしかあれもこのくらい夕焼けのころだった。)いまは覚えているこの記憶はいつまでつづくのだろう。
濡れた草にしゃぼん玉がくっつく。吹きながら 明るいほうを見るかどうかだなと、夕やけの沈む橋の向こうを眺めていた。こっちはすこし暗くてきっと濃い灰色の雲がいる。そう思って、見上げると虹がいた。おおきな半円。のんさんに虹を伝えるのはかんたんではなかった。それよりずっとじぶんに近い花や鳥にピントが合ってしまう。ようやくわたしと同じところに焦点がかさなったというところで「虹だよ」と言うと、「じじ」とくり返した。
虹に見惚れた。雲の動きによって光の反射が変わりクリアに見えるところ薄まるところ、消えるところが移ろう。虹は七色だという文化にふれていなかったら何色にみえるだろう。じっと目を凝らすけれど七つさがしてしまうかなしさ。端っこと端っこ、はじまりと終わりは同じ色にみえて、輪廻転生を思う。ふっと橋の向こうへ目を向けると黄金色の空が演奏している。
ああ、どっちもかあ。と思う。あかるいほうはどちらか一方ではなくて橋のこっちもあっちも。どうにかあかるいほうにしがみつかなきゃとツライよという奥のほうに思っていた感情をほおっとゆるめた。それは希望のように感じた。
晩ごはんは、きんぴらごぼう、モロッコいんげんの胡麻和え、ロールキャベツ、ごはん。
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