これからもこども
ちいさい時、おとなになれば生きるのが上手になって、迷うことも、悩むことも、間違えることも、後悔することもなくなるって思っていた。
けれど、実際はどうだろう。四捨五入すればもう30で、孔子の言う「自立」の年齢が近づいている。なのに、毎日の些細な事に迷って、振り返ればどうでもいいようなことに悩んで、大切な決断を間違えて、判断を下したそばから後悔している。こどもの時からまるで変わっていない。
たくさんのことを経験して、たくさんのことを知っただけで、自分はおとなに近づいてきた気になっていただけなんじゃないか。と、思う。
「おとなになるには、もっと時間がかかるものだよ。」と人生の先輩は言うかもしれない。けれど、おとなに近づいている実感が崩れ去ってしまっている今。どんなに時間が経とうとも、おとなになることなんてないんじゃないかと不安に襲われる。
自分で決断したことに後悔して、元に戻ることも選べない。
もっと大人だったら、あの人のことを許せるのだろうか。
こればかり考えてしまうから。
世の中のおとなは、どうやっておとなになったのだろうか。
それとも、彼らも僕と同じように痛みを抱きながらも、表面は平気なようにするのが上手なだけなんだろうか。
こんなこと考えても、おとなたちに直接聞いても、答えは出ないんだろう。
人の心なんて、言葉でしか知ることがなくて、言葉はいつも多かれ少なかれ嘘をはらんでいるから。
だから僕ができることは、この痛みが平気になるほど、自分が成長するか、
当面、痛みを抱えて、平気なふりをすることのどちらかしかできない。
おとなになるのはなんにせよ、痛いことなのかもしれない。