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新企画予告:マッチでパチンコホールMAPを作ろう

こんにちは。偏愛パチンコライターの栄華です。

今回は、これからPOTで育んでゆきたい企画についてお話します。その名も、

「マッチでパチンコホールMAPを作ろう」です。

私は「むかしのパチンコホール」に異様な執着を傾ける偏愛ライターとして細々と執筆活動をして来ましたが、その取り組みは世間にたいして認知されることもなく、集めた資料やインプットした知識は断片的な形で記事に生かしてきたものの、多くは未整理のまま放置されているのが現状です。そのことに、日に日に焦りを募らせております。

これから書くものはもっと資料性を重視すべきではないか。年齢的にもう残りの人生の大半を資料整理に費やさないと間に合わないんじゃないか。そんな危機感に突き上げられ、支援してくれる方や後継者を求めるためにもどんどん発信して行こうと決めました。……という流れでこの企画です。まず整理したいと考えている資料の筆頭が「パチンコ店のマッチ」なのです。

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我が家には、昭和20年代から50年代のパチンコホールのマッチラベルがおそらく1000枚近くあります。蒐集を開始したのは2015年。当初は「デザインがキッチュでカワイイ~」とニヤニヤしながら眺めてましたが、次第に「どこにあったホールなのか。いつごろ作られたマッチなのか」を明確にしたいと思うようになりました。

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というのもこの通り、古いマッチ(昭和20~30年代)ってお店の情報がおそろしくザックリなんですね。地元のお客さん向けに作られたものだからこの程度の情報で事足りたわけです。でも今となっては現地へ行って聞き込みをしても「ここにありました!」と明言できる人にはそう出会えないでしょう。

1960年代の終わりあたりまでは全国のパチンコホールをリスト化したような資料が乏しく、場所を特定するのはきわめて難しいのです。全国に4万軒以上のパチンコホールがあったと言われる1953年前後は、短期間だけ営業して店じまいしたホールも多かったでしょうし、そんなお店のマッチが含まれていたらまず特定するのはムリだろうと気が遠くなります。でもだからこそ特定する意義があります。この世でマッチだけが、ホールがそこにあったことを証明する資料になりうるからです。

特定難度アルティメットクラスの強敵は現地取材なども伴うので時間をかけて調査するとして、それと並行して「少し調べればなんとかなりそうなホール」を片づけて行く必要があります。本企画「マッチでパチンコホールMAPを作ろう」は、特定できたホールについてサクサクとライトな筆致で報告してゆくという内容です。当面は土地勘のある地域や、日帰りで取材に出かけられる名古屋近郊のホールが中心になります。

そして毎回、次回取り上げるマッチラベルの画像をご覧頂き、読者の皆さまからの情報も募りたいのです。有力な情報やエピソードが寄せられましたら、それも盛り込んでご報告できればと思います。

ということでさっそく、次回ご報告するマッチラベルはこちらです。

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名古屋駅の「パチ銀ビル」について、関連情報や写真、ご記憶、エピソードなどをお持ちの方は、

栄華Twitter:@henaieika 宛にDMか、

tengo2.5.777@gmail.comにe-mailをお寄せください。

ご協力をお願い申し上げます。


※この記事は2021年2月に発表されたものです。

プレゼンテーション2

パチンコ店の「建物」に偏愛を捧げるフリーライター。全国47都道府県、2500店舗以上のホールを訪問。「八画文化会館 vol.7 I ♡ Pachinko Hall ~パチンコホールが大好き!~」監修。主な執筆媒体は「パチンコ必勝ガイド」。CS放送パチテレ!に出演多数。偏愛パチンコバンド「テンゴ」のボーカリストとしても活動。

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