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マッチでパチンコホールMAPを作ろう④~名古屋市西区 「共楽」と名鉄栄生駅周辺~

こんにちは。偏愛パチンコライターの栄華です。
暑くなってきましたねえ。

この連載には図書館通いが欠かせないんですが、夏の図書館っていいですよね。濃緑の木々と蝉しぐれを抜けてひんやりとした玄関へアプローチするとき、心は少年少女の夏休み。ライフワークという名の自由研究が捗ります。今回も昭和のパチンコホールの軌跡をマッチラベルから辿りましょう。

<マッチでパチンコホールMAPを作ろう>
昭和時代のパチンコ店の広告マッチを蒐集している栄華が、ラベルに記された情報からお店の所在地(できればマッチの作られた時期も)を特定し、「昔のパチンコ屋さんマップ」を作成する!


「パチンコ共楽」のこと

今回は名古屋市西区、名鉄栄生駅の近くにあった「共楽」というホールです。

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▲「刃物の持ち歩きはやめましょう」という名古屋西警察署の啓発広告入り。昭和30年代前半製と思われます

今回も、おなじみ娯楽産業協会の「全国遊技場名鑑」を参照します。私が閲覧できる名古屋市の名簿のうち最も古い1969(昭和44)年版に「共楽」は掲載されており、「西区藤の宮通り3」以降の詳しい住所を確認することができました。

しかし、現在は該当する番地なし。

ということで図書館の出番です。昔の商工住宅地図を見てきました。名古屋市鶴舞中央図書館に所蔵されている名古屋市西区の地図のうち、最も古いのは1957(昭和32)年。すでに藤の宮通り3丁目に「パチンコ共楽」は存在していました。現在の地図に示すとこのへんです。

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▲「共楽」閉店後は、1970年代後半に「キングホール」というパチンコ店となり、2019年に閉店。その後解体されて現在はマンション建設中(2021年7月現在)。北隣もパチンコ店で「正村ゲージ」で有名な正村竹一さんの親族が経営するホールでした

図書館に昭和32年よりも古い地図がなかったので、ホールがオープンした年はわかりませんでしたが、その後の住宅地図と遊技場名鑑を確認したところ、閉店した年は1972(昭和47)年だったようです。


読者さんの思い出のホール

マッチラベルを整理していたらもう1枚、栄生駅付近のものが出てきました。

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「栄生ガード西南角」にあったという「オリンピックセンター」。このラベルを見て私は「もしや?」と思い当たることがありました。

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▲これは、2018年に私が主催したトークイベントのチラシ。「愛知のパチンコホールを懐かしむ」というテーマで、観客に事前アンケートを行い、愛知県内の思い出のホールについて様々なエピソードをお聞きしました。

このイベント内で、あるお客さんからこんな内容の呼びかけがありました。

<覚えてる方いませんか?>
栄生駅周辺のガード近くにあったホール。
小さい頃、親に連れられホールに入り、何が欲しい? って聞かれ、一生懸命景品を見てスーパーカーの写真パネルをお願いしました。
僕も床に落ちている玉を拾い一緒に打って、親子でパネルを取りました。
お店の名前を忘れちゃったんですが、誰か覚えてませんか?

(葵☆つばささん)

当時の私はまだ娯楽産業協会さんとの交流がなく「遊技場名鑑」を見ることはできませんでした。また、住宅地図の調査も始めていなかったので、葵☆つばささんの思い出のホールについて何ひとつ調べることができなかったのです。

その時の心残りがあり、「栄生」「ガード」という文字を見た私は色めき立ちました。

遊技場名鑑には、「オリンピックセンター」という名前の店はなく、「オリンピック」というホールが掲載されていました。

<遊技場名鑑「オリンピック」のデータ>
●1969(昭44)年版:中村区藤の宮通4の40
●1973(昭48)年以降:中村区千原町2の41
●1980(昭55)年版:記載なし(閉店?)

葵☆つばささんにご連絡して、当時のことを詳しくお聞きしてみると、「お店に通ったのは1976~1978年ごろ」とのこと。

「オリンピックセンター」
「オリンピック」
「つばささんの思い出のホール」

は全て同じなのでしょうか……?


商工・住宅地図を見る

<商工住宅地図のデータ>
●1957(昭32)年:「オリンピック」または「オリンピックセンター」という店名のパチンコ店は見られない。
●1963(昭38)年:藤の宮通4丁目に「パチンコオリンピック」が現れる。
●1972(昭47)年:住所が「藤の宮4丁目」から「千原町2丁目」に変わっていた(場所は変わらず)。
●1980(昭55)年:「パチンコオリンピック」が「ゲームプラザオリンピック」に。

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場所はここ。マッチラベルには「ガード西南角」と書かれていましたが、これって西南角と言っていいの…? という微妙な位置ですね。

ただ、

①マッチラベルに記載されていた電話番号が遊技場名鑑のものと同じ

②昭和32年以降の住宅地図を順番に見てゆくと、栄生駅高架の周辺に、「オリンピックセンター」または「オリンピック」という名のホールは1963(昭38)年までなかった

という2点から、オリンピックセンター=オリンピックと考えてよいと判断します。1964(昭和39)年開催の東京オリンピックにあやかって付けた店名だったのでしょう。

そして、葵☆つばささんにもご記憶を手繰って頂いたところ、思い出のホールの場所とぴったり一致していました!

つばささんの思い出のホールは

「オリンピック」

という店名だったことがわかりました。


パチンコオリンピックは1980年に遊技場名鑑から名前が消滅。地図上では「ゲームプラザオリンピック」という表記となり、この年からゲームセンターになったようです。

その後、1980年代後半から1990年代前半までは「プレイランドワールド」というパチンコホールだった時期もありました。

跡地を訪ねてみたところ、面白いものを発見しました。

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▲ゲームプラザオリンピックの跡地

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▲隣の建物(自転車屋さん)との隙間を覗き込むと……。

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▲なんと、「GAME Olympic」の看板が残ってます!


お便り:パチンコオリンピックの思い出

僕が小5〜中1の頃なので、43~45年前です。
そのホールに行くのはいつも日曜日でしたが、満席だったことはなく、いつでも座れる状態でした。
出玉より混雑回避の客層には最適なホールだったかと(笑)
出入口は正面と側面の2箇所だったような?
カウンターの横か前に景品があり、スーパーカーの写真パネルがダンボールを半分に切った様な物に数十枚縦に入れられ、レコードを探すみたいに見ていました(カウンターにも数枚展示あり)。
当時、新幹線で働いていた母は、名古屋には2〜3日くらいしか帰宅できませんでしたから、日曜の休日が嬉しく、親子で自転車で買い物に行く前にパチンコに寄りました。景品に好きな「ポルシェ934ターボ」の写真パネルがあり、親子で出玉を合算して取れたのが嬉しかったです。

(葵☆つばささん)

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<MAP>

「共楽」と「オリンピックセンター」を加えました。


次回のマッチラベル

次回は、名古屋市中区にあった「ニュー三高」というホールをMAPに加えます。

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中区錦三丁目といえば名古屋屈指の繁華街。この辺りには昔から沢山ホールがあったので、思い出をお持ちの方がたくさんおられるのではないでしょうか。「ニュー三高」という店名に覚えがなくても、中区錦周辺の古いホールについて何かご記憶やエピソードをお持ちの方は、

栄華Twitter:@henaieika 宛にDMか、

tengo2.5.777@gmail.comにe-mailをお寄せください。

どうぞお気軽に。
お待ちしております!


※この記事は2021年7月に発表されたものです。掲載サイトの移行に伴い加筆修正しました(2021.11)

〈参考文献〉
「全国遊技場名鑑 西日本編」 娯楽産業協会 1969~1980年
「名古屋市全住宅案内図帳 中村区」 住宅協会編 1957年、1960年、1967年、1974年、1975年、1979年
「名古屋市全商工住宅案内図帳 中村区(北部) 中村区(南部)」 住宅協会編 1958年、1961年、1965年、1969年、1971年
「名古屋市全商工住宅案内図帳新住宅法典中村区北部」 住宅協会編 1963年、1964年
「ゼンリンの住宅地図 名古屋市中村区」 日本住宅地図出版 1981年

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パチンコ店の「建物」に偏愛を捧げるフリーライター。全国47都道府県、2500店舗以上のホールを訪問。「八画文化会館 vol.7 I ♡ Pachinko Hall ~パチンコホールが大好き!~」監修。主な執筆媒体は「パチンコ必勝ガイド」。CS放送パチテレ!に出演多数。偏愛パチンコバンド「テンゴ」のボーカリストとしても活動。

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