「友達から一線を超えてしまったネオン」で有名なホールから、素敵なモノを預かったお話
はじまりはリプライから
2020年5月28日。私のツイッターアカウントにこのようなリプライが寄せられました。
この写真、なんだか分かりますか?
「パチンコ店で実際に使ったことがある」という人がおられるとすれば、50代以上の方が多いでしょうかね。
「ひっぱりくん」という名称で、1990年代にパチンコ店でよく使用された道具です。現在のホールではまず見ることのできないレアアイテムなのですが、その新品、いわゆるデッドストックがとあるホールで発見されたというのです。
この道具についての詳細はのちに詳しく述べますが、とにかく私は以前から現物を手に入れたいと思っておりました。それでつい
「いいなあーーーーーーーー!」
と、大人げない返信を送ってしまったのですが、聡明な久兵衛さん(先ほどのツイートの方)はその一言で全てを悟り、「ひっぱりくん」が発掘されたパチンコ店に連絡を取って下さいました。そして……。
取っといてくださる、ですと!?
そうなのです。譲って頂きたいのは山々でしたが、面識もないのにいきなり連絡する勇気のないヘタレな私を見かねて、久兵衛さんが交渉して下さったのです。もともと店長さんと懇意にされていたようで、サクッと交渉を済ませると「じゃ、私はこれで」といった風情で颯爽と去って行かれました(というイメージ)。かっこよすぎます。
そして、もうお一人かっこいいのがホールの店長さんです。どこの馬の骨ともわからんパチンコライターに貴重な発掘品をお分け下さるなんて、度量の大きさがハンパありません。そのホールとは、群馬県太田市の「フレンド太田店」さんです。
フレンド太田店さん
わたくし「全国2500軒以上のパチンコホールを自費で訪ね歩いたライター」として口糊を凌いでおりまして、フレンド太田店さんのことは以前から存じあげておりました。上の写真は2018年2月に足を運んだ時のものです。その際、訪問した最大の目的はこの看板でした。
「フレンド」なのに接吻しちゃってます。かわいい!
このネオンが点灯しているのを見たくて、昼間ではなく夜に訪問したのです。最寄りの木崎駅からホールまでの道のり1.7キロは街灯のないあぜ道で、怖すぎて半ベソかきながら歩いたのはいい思い出です。
想像して下さい、とっぷり暮れたこの道を
ダイレクトメッセージで店長さんに連絡すると、なんと私のために2個のひっぱりくんを確保して下さったと仰います。お代を確認したところ「無料でいいですよ」と、思いもよらない返答が!
なんということでしょう。嬉しい。嬉しすぎます。この嬉しさと感謝を行動で表したい。そうだ 群馬、行こう。前回は客としてアポなしで訪問したけど、今度はライターとして正式にお訪ねしたいです。
その思いから、名古屋の自宅からフレンド太田店さんへ赴き、直接受け取らせて頂くことに決めました。「そこまでせんでも、郵送するのに…」と店長さんを困らせてしまったかもしれませんが、行かなきゃ気が済まないところまで私の喜びは爆発していたのです(当然のことですが、県またぎの移動なので入念な感染対策はマスト)。
そして6月27日
フレンド太田店さんに到着! ネオン看板も健在です。
前回訪問時にネオンに加えてもうひとつ感動したものがあります。店舗の外装・内装に描かれたイラストです。
すごいですね。1980年代に「宝島」にハマった世代には神のようなイラストレーター、スージー甘金さんのイラストです。レトロパチンコファンならSANKYOの名機『オロチョンパ』『OL娘』(ともに1992年)のメラ盤のイラストの人、と言えばお分かり頂けますよね。パチンコホールマニア的には、このイラストを見るだけでも訪問する価値アリだと思います(なんか上からですみません)。ホールの開店は25年前(1995年)で、当時からこの内外装は変わっていないそうです。
そして店長さんにお目にかかり、受け取った「ひっぱりくん」が、こちらです。
さすがは未使用品。たいへん保存状態がいいです。道具の使用方法なども軽く解説しましょう。
ぶら下がっているのはライターです。
裏側には接着シートがついていて、シマの端っこや台間などに貼り付けて使います。
緑色の箱の中にびよーんと伸びるヒモが格納されていて、マックスまで伸ばしてみると55cmほどありました(これやってみたかった)。
つまり「ひっぱりくん」とは、びよーんと伸ばして使用する「共有ライター」なのです。
私は「ひっぱりくん」の存在を以前から知識として知っていたものの、ホールで実際に見た経験はなく「100円ライターが普及した1980年代中ごろにはお役御免になったアイテム」だと思い込んでいました。
しかし、手元にある1997年発行のパチンコ店の備品カタログを見ると、ひっぱりくんが掲載されています。2000年代に入っても販売されていたのかもしれませんね。
ちなみに、ひっぱりくんではありませんが、「共有ライター」は現在も地方の小規模ホールで見かけることがあります。タバコを吸うのにライターを忘れてしまうお客さん向けの親切サービスなんですね。
ライター貸し出しサービスがあるホールも
娯楽場の心意気に触れました
私が「ひっぱりくん」に魅力を感じる理由は、遊技客に「気遣い」を提供するサービスであるところです。もちろん「ライターを忘れた客に遊技を切り上げられないよう」という実利的な意味合いもあるでしょうが、専用の道具が生まれ、一時は多くのホールが使用していたという現象に娯楽場としての心意気のようなものを感じるのです。
現在ひっぱりくんは使用されなくなりましたが、娯楽場、憩いの場として快適な場所を提供したいという精神は今のフレンド太田店さんからもひしひしと感じられました。また機会があれば太田店の店長さんからお聞きした「常連さんに愛されるお店づくり」の話も書いてみたいです。
なお、今回私は無償でひっぱりくんをお分け頂く形となりましたが、「私個人がもらった」という認識ではなく「お預かりした」という気持ちです。パチンコ文化を語る史料として執筆などで使用させて頂くほか、いずれ天命が尽きる時を迎えたらパチンコ博物館のような場所に寄贈したいと考えています。久兵衛さんも店長さんも、それを期待して私に託して下さったのだと思っています。ありがとうございました。大切に預からせて頂きます。
〈フレンド太田店の店長さんのツイッター〉
よっすぃ@フレンド太田 https://twitter.com/friend_ota?s=09
※この記事は2020年7月に発表されたものです。サイトの移行に伴い加筆修正しました。
パチンコ店の「建物」に偏愛を捧げるフリーライター。全国47都道府県、2500店舗以上のホールを訪問。「八画文化会館 vol.7 I ♡ Pachinko Hall ~パチンコホールが大好き!~」監修。主な執筆媒体は「パチンコ必勝ガイド」。CS放送パチテレ!に出演多数。偏愛パチンコバンド「テンゴ」のボーカリストとしても活動。
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