無題

BARがはじまる理由。

『BARくさかんむり』がはじまる。始まるというか、はじめる。なぜ、夫婦でこんな難儀なことをするハメになったのかというと、よく思い出せない。確か、作家・遠藤周作の「おばかさん」のモデルにもなった仏人宣教師、フィリップ・ネラン神父について知ったことにはじまると思う。


ネラン神父は、「キリストが現代に生きていたなら、きっとこういう場所に現れただろう。」と想像して歌舞伎町のビルの一角に、「教会」ではなく「Bar」をつくった。お酒を飲みながら、日頃の悩みや政治経済・恋愛話や仕事はたまた信仰についても。どんなことでも、ざっくばらんに語り合える場所が、その店。


「エポぺ」という名前の神父がカウンターに立つBarは残念ながらもう無い。どうしても興味を惹かれて、上京の際に立ち寄ろうとしたが、一昨年に神父が他界して店も去年閉店したのだという。


訪れることの叶わなかった心残りに、Sさんが光を向けてくれたのかなとも思う。バー文化というか、「カウンター越しのコミュニケーション」に、懐かしさを覚える世代だというSさん。そして、30代過ぎてから急にクリスチャン街道を歩むことになった私の夫と、その傍らで珍しげに観察してみる修道院菓子好きの嫁(ノンクリスチャン)。


不思議に絡み合った興味が、これまた飲みの席で勢いよく転がった。それが、「BARくさかんむり」といったところだろうか。つまるところ、飲み会の副産物みたいなものだったのだ。


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