いつぞや、性格判断かなにかで、「清濁併せ呑む」性格だと書いてあった。「善・悪のわけへだてをせず、来るがままに受け容れること。」という意味らしいが、気に入っている。

ただ、清濁併せ呑む​には、度量の大きいことを表すようではあるが、度量とは違い、人間の善や悪を信じていないから区別しないという気がする。

人を殺した残忍な犯罪者。自分とどう違うのか、じつは分かんない。スタンフォード監獄実験のように、人間は環境によって善悪の区別がつかなくなる。自分自身が、状況によっては犯罪者になっても驚かない。もちろん、なりたくはないんだけど。

ポリシーとして、自分とは違う意見でも最初はすべて肯定して受け止めるようにしている。そのうえで、どうしてそのような意見なのかも理由を含めて知りたいと思う。理由を聞かずに、自分と違うからという理由で拒絶することはない。

ただ、時間をおき、反対にすべてを否定してみる。自分自身の意見でさえも、こうだと思ったことをすべて「違うのではないか」と疑ってみる。自分の中でディスカッションを行うわけだ。自分の中で検察官と弁護士が戦う。その上で、答えを導きだそうとジャッジするようにしている。

最近は、ウェブサイトのありかたでも、アップル好きとしては、Flash要らない。そう思っている。閲覧環境もメインはPCからスマホに移っていると思っている。スマホでストレスのない、シンプルでフラットなデザインが好きだ。仕事で提案する場合も多くなってくる。

けれど、自分の中の反対分子がツマンナイと言い始めている。ウェブサイトは集客やPRが目的の場合も多い。その場合、他と横並びでは目立たなくなる。なので、一般的にはフラットでレスポンシブなサイトが正解だが、個々の場面では正解かどうかわからない。競合があっての話だから。

加えて、表現の制限が多くなるから、なんともツマラナイ。もっと自由にできないものか。単純に面白くならないのか。使いにくくても効果が出ればいいんじゃないか。いろいろ考えながら、とくに答えがあるわけじゃない。実験しながらできないものか。




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