ネクディメリベンジ14日間
今回、ネクディメでのリベンジの内容をまとめたいと思う。
私のリベンジは、家族に犠牲を強いたことへの反省から始まった。
前回のチャレンジは、資格試験の勉強を頑張るあまりに、家族を顧みず、息子に寂しい思いをさせていた。
セミナー当日、小田さんや新田さんの話に号泣しながら、チームメンバーの前で私は「リベンジは、息子と夜一緒に寝ることです!そして自分の今のセッションを商品化します」と宣言していた。
試験勉強を継続ではなくセッションを目標にしたのは、再来年の受験のために、今勉強するより、今もっとも社会に価値提供できているセッションを強めて、みんなに貢献したいと思ったからだ。
セミナーの翌日、セッションの方法について、メビウスで想一郎さんに相談した。
その際、現行のセッション方法、人生曲線に沿ってすべての過去を再定義していくやり方では、自分の寿命を縮めることになるとアドバイスをいただいた。
たしかに、かなり疲労してしまうことは自覚があった。
理想の未来から、それにつながる過去を、理想の未来ともっとつながりが強くなるように再定義する方法、未来から過去へタイムリープする方法をアドバイスもらい、新しい方法でセッションを始めることにした。
その翌日、チームミーティングがあった。
リベンジ期間中、毎日zoomでミーティングがあったが、期間中最も長いミーティングの一つが、この日だった。
メンバーから、「私の目標が家族と仕事と繋がっていない」という指摘から、二時間みっちり私の内面に踏み込まれる経験になった。
というのも、私が息子の自立を阻む母親だったからだ。
私は、スマホゲームのスクリーンタイムにより、息子が勉強したらゲームしていい、という独裁体制をしいていて、息子が私の言いなりになるよう、支配していたのだ。
その話を聞いたメンバーが、「息子と一緒に夜寝る、とかじゃないだろ!そこをなんとかしないと」と、私のために真剣に話をしてくれた。
またもや私は号泣して、自分の至らなさを直視することになった。
そこで私は、息子が天命を遂げるために、私ができるサポートってなんだろう?と考え始めた。
セッションを受けてくれる人について、散々考えてきたことなのに、いざ息子については全く考えていなかった。
「そうか、息子にもセッションすればいいんだ!」
「息子の様子を見ることで、新しいセッションの方法も検証ができる」
私は息子に話しかけた。
「○○は、人生をかけてどうなっていきたい?」
「そのコンセプトに向けて、今年の夏休みを最高のものにするために、どんな計画を立てたらいいだろう?」
かつて息子と決めたコンセプト「世界を幸せにする天才」から、どう過ごしたらいいか、考えよう。
そのために、どうして勉強をするのか、どうしてゲームをするのか、どうやって家族を大切にしていくのか。
家族みんなでその意味を考え、文字化していった。
ゲームの許可制も全てやめた。
濃密なファミリーミーティングだった。
翌日から、詰め込みすぎの計画だったところは、実態に即して見直すようにした。
息子は、ゲームをするために私のご機嫌を伺っていた時に比べ、しっかり自分の意見を言うようになったし、私も母も息子をもっと信頼するようになった。息子がいい面構えになってきた。
それを見て、私もセッションの方法に自信が持てるようになってきた。このやり方ならできる。
新しいセッションの方法で、チームメンバーから始め、フィードバックもらいながら、だんだんネクディメメンバーにも広げていった。
息子のおかげで、どう継続フォローに繋げていくか道筋が見えた。次第に自分の価値提供が固まってきた。
セッションをした後は、必ず家族に対して、学んだことをシェアした。
以前の家族は、「ネクディメ?は?宗教?」の状況だったが、諦めずに伝え続けたことで、私がセッションをすることにも理解してくれるようになった。
それどころか、セッションでの学びについて語らったり、自分から北極老人をググったり、「良い人たちに出会えてよかったね」と言われるようになった。
私も、家族も、仕事も、みんな笑顔になっていく感覚だった。
しかし、こんな順調に私のリベンジは終わっていいのか?と疑問を感じた。
最後のワンピースがはまっていない気がして、私はメビウスに行くことに決めた。
メビウスに行く前日、関東組の何人かに声をかけた。
そんな急な話なのに、集まってくれた人たちがいて、とてもありがたかった。
その場で深夜バスの予約をしてくれる人もいた。
それが、私の最後のワンピースとなる、がてぃさんだった。
メビウスに行くと、想一郎さんにお会いでき、本当に運が良かった。
私は想一郎さんに、以前いただいたアドバイスの御礼と実践した報告をした。
その内容はすぐ終わってしまい、私はもっと想一郎さんのお話が聞きたかったので、一緒にきたメンバーの相談で想一郎さんを質問攻めにした。
その一人ががてぃさんだった。
彼は、サッカーに19年間費やしてきて、グランドセオリーをサッカーで学んできた人だ。それが今後どう生かすのか見えていないことを相談していた。
想一郎さんから、「人生何周分くらいの学びを得たサッカーで、すべてを捉えてみなさい。得てきた学びについて、抽象度をあげてみんなに伝えていく必要があるが、まず自分のプロフィールを作りなさい。自分のことは当たり前でよくわからないだろうから、誰かと対話しながら作り上げたらいい」とアドバイスを受けていた。
そこに立ち会っていた私は、気安く「私があなたに質問して、プロフィール作り手伝いますよ」と手伝いを申し出た。
京都駅で深夜バスの発車を待っているとき、彼からエネルギーが最も上がった瞬間の話を聞いた。
高校時代、全国高校サッカー選手権大会の出場権をかけて戦った決勝。
その時の情景をありありと語る彼の瞳には、確かにピッチが映っていた。
そこから発せられるエネルギーは莫大で、その圧倒的な情報量に鳥肌が止まらず、味わったことのない臨場感で、私も一緒にピッチに立っているような感覚になった。
この人は、アカシックレコード、宇宙の根源につながっている。
私にそう思わせるほど、この瞬間はやばかった。
この人は世に知ってもらわなければならない人だと直感した。
同時に。
気圧される。自分が呑まれてしまう。
その話を聞いたとき、そう思った。
今までのセッションで、恐怖を感じたことはなかった。
今回、吐き気を覚えるほどの恐怖を、私は感じた。
私はこの莫大な情報量を言語化できるだろうか?
うまく言語化できず、この人が誤解されて世に伝わったら、それは私が紐解けなかったせいなんじゃないか?
重責を感じて、逃げ出したいと思った。
正直メビウスで手伝いを申し出たときは、これほどまでと思っていなかったし、覚悟なんてものもなかった。
深夜バスの薄暗い天井を眺めながら、怖くて泣いた。ちっとも寝れなかった。
海老名サービスエリアでバスがトイレ休憩をとったとき、私は耐えられなくて、車外に出た。
ちょうど夜明けだった。
龍神雲の合間から光芒が見えた。それを見たときに、覚悟が決まった。
ああ、この経験は私へのギフトだ。この人のプロフィールを完成させることが、私の人生の転機になるだろう。
新しい人生が産声を上げた、と思った。
深夜バスから降りて、私は彼に告げた。
「今日中にプロフィールを完成させましょう。最後まで付き合います。だから今日、時間をください。」
その日、私は家族サービスの予定で、家族サービスをした後、改めて彼とプロフィール作りのために会う約束を取り付けた。
聞き取りとプロフィール作りは、カフェの閉店時間を過ぎても続いた。居場所がなくなったので、近くの公園のベンチで、作り続けた。
莫大な情報量に、何を軸にプロフィールを作るのか、途中でエネルギーが切れるときもあった。
気づけば、公園のベンチで私たちは8時間以上もプロフィール作りに費やした。
途中、近くのベンチでメンヘラ女子たちが酒盛りを始め、「あの人たち、なにやってんだろう」と大きな声でやじられたりもした。
絶対に書き上げるんだ。突き動かしているのは、その気持ちだけだった。
早朝4時半、朝日が公園に差し込む頃、プロフィールが形になった。
私は、家族以外で、こんなにも一人の人生に立ち入ったことがなかった。
今までだったら、「自分のプロフィールでもないし」と、途中で適当に切り上げていたに違いなかった。
でも、この人が天命を遂げられるよう、全力で応援しよう、という思いで、自分の持つエネルギーをすべて注ごうと思って取り組んだ。
それに呼応して、彼は最大限取り組んでくれ、ついに一つの形に仕上げてくれた。とてもありがたかった。
ホッとして帰路についたとき。私はふときづいた。
息子が家で待っているのに、誰かのプロフィールを書き上げるために公園で徹夜するなんて、完全にどうかしている。
負担を家族にかけているし、家族は理解してくれないのではないか。
自分のしたことに後悔はないのに、公園から帰途についた私の心は、家族になんて説明しよう、ということでいっぱいだった。
家について、家族にそれまでのことを全部説明した。
彼がどれだけすごい人か。
その人を世に知ってもらうために、彼が誰かと対話しながらプロフィールを作る必要があったこと。
その手伝いをして、自分がどれだけ真摯に人と向き合えたか。
その過程で、相手とエネルギー循環させながら、相手が天命を遂げられるように応援する雛形が自分の中でできたこと。
それが、私にとってギフトだったということ。
私はこの雛形を使って、これからもっともっと多くの人の応援をしていきたい、という決心がついたんだよ。
心配かけてごめんね。私を信じて待っていてくれてありがとう。
それを聞いた家族は、笑いながら言ってくれた。
「本当にバカだね。
でも本当に、いい経験になったね。」
私は、思い込むとやりすぎてしまう性格だ。
家族はそれをただしながら、応援してくれる。
私は、至らないところがいっぱいだけど、人と真摯に向き合い、その人を全力で応援し、その学びを家族に伝え、家族にただされながら、また人と向き合っていこうと思った。
今回のリベンジの、最後のワンピースがはまった気がした。
応援してくれた家族、毎日ミーティングしてくれたチームのみんな、曲を作ってくれたメンバー、いい機会をくれたがてぃさん、ネクディメの皆様、本当にありがとうございました!
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