知らぬが仏とは
"然るべきことがらについて、
然るべきひとびとに対して、
そしてまた然るべき仕方において、
然るべきときに、
然るべき間だけ怒る人は賞賛される"
アリストメリス『二コマコス倫理学』
知らぬが仏だらけの世の中で
何を知ろうとするか
何も知ろうとしないか
それから何を追求するか
心の中で留めておくか
それは全て自分自身の行いにおいて
自分の掌で行われることである。
知って追求したところで
何も変わらないのがほとんどであり、
またさらに攻撃を受ける場合もある。
納得いくことなどないのだ。
知ったからということを盾に
追求し攻めるのは時間の無駄であり
知ろうとしないか
知っても去るか心から消すかの二択である。
だからわたしは心を消すことにした。
信じられるのは結局自分だけである。
自分の人生自分の幸せのために
自分だけを信じて
期待しすぎず知らぬが仏が
今の世にあっている気がする。
いまは知ることができすぎる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?