無題

学生の頃足しげく通っていたライブハウスが閉店するというニュースを見て、二日がたちました。

京都のサーキットイベント「いつまでも世界は…」のプレイベント、「SAKIDORI」の配信を見ながらこれを書いています。

顔なじみの人も見慣れた場所も、配信で見れるからこそ、「家にいる場合じゃない、見に行かなきゃ」という気持ちになる。その時に一番に思い浮かぶのは閉店するライブハウスのバーカウンターで、思い浮かべてもうなくなるということを思い出し、難しい気持ちになる。

最近まで出ていた東京のライブハウスと、昔遊んでいた京都のライブハウスは、まったく別の場所だなと最近とても強く感じている。何が?といわれればそれはわからない。東京はいい意味でアンダーグラウンドな感じがない。京都のそれよりもっと開放的で、社交的で、誰でも入りやすくて、例えるならカフェ巡りが趣味の人でも入れるような。

それはいいことなんだと思うけど、そうなるとカルチャーというよりエンタメなのかな。何てことを考えている。実際、ロックバンドやアーティストをエンタメ的に見ている人は多いように感じる。楽しみ方は人それぞれだから、「そうじゃないんだけどな」というのは口にしないけど。そこのずれって致命的で、居心地にかかわる。もしかしてそこが理由なのかななんてことも考えている。

ライブハウスがやばい、ライブスタッフがやばい、ミュージシャンがやばい。そんなことを目にするたびに思い浮かぶのは、どうしても、京都の大きな通りのそばにある広いライブハウスや、路地裏の小さなハコや、自動車学校のそばにある倉庫みたいなライブハウスで。そういえば東京にもよく行ったハコあったな。というくらいにしかならない。僕は東京のこと嫌いじゃないけど、好きになるほどの要素が身の回りにない。たぶんそれだけなんだろうな。

配信を見ていたらまたいろいろ思い出してきた。
閉店するライブハウスでPAをやっていた方のTwitterで、閉店のために撤去している機材の写真があった。お世話になった方だし、その悲しさや悔しさは到底くみ取れないけど。
踏みなれたステージの床の感覚。無理にカシスオレンジを飲んで二日酔いになったバーカウンター。変な形の客席。やりやすかったな。高いところから失礼しますが常套句のDJブース。受付。丸椅子。白いドラムセット。東京でライブをするときのベースアンプがここと同じものだと意味もなく心強かったこと。行けば誰かいた知り合いの人たち。併設されたスタジオ兼ライブハウス。控室の割れた鏡。数えていたら夜が明けそうなくらい貼られたバックステージパス。古いソファ。ドリンクチケット。なんでなくなるんだ。なんで。なくなるのか。なぜ。なくなるのか。そうか。なくなるのか?



匂いが好きだった。
湿っぽい猛暑の中を、自転車で向かうのが好きだった。
押し売りみたいなドリンクの販売が好きだった。
地元のイベントで人があふれる光景が好きだった。



人や、モノや、場所や、出来事。僕にまつわるすべてのものの中で、おそらく家族よりも一番深く愛していたものが、もうすぐなくなるらしい。

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