内向きの意識

海外に行きたいと最近思い始めている。
タイトルの伏線回収は最後にあるので気になったら最後まで読んでください。


一週間とかの旅行ではなく、移住というかなんというか。留学とも違う。とにかく住みたいと思っている。

日本は一部を除けば道はきれいで山も多く、舗装されていない道があったり、頑張って端っこまで行けば海にも行ける。(埋立地は別としてね)
それでいて、一部を除けば程よく都会で、ある程度のものは簡単に手に入る。
一方で1時間電車に乗れば大都会に行けてしまう環境ってどうなんだ…?というのもある。

だから日本という環境に不満はない。ただ僕はたぶん飽き性なんだと思う。

学生の頃、一年に一度のクラス替えが大好きだった。漠然と、環境が変わることを楽しんでいた。人間関係が変わっていくのもなんだか気持ちがよかった。「イツメン」なんて言葉が飛び交っていた時代の学生だったけど、いつも同じ相手とずっといることがどうにも耐えられなかった。

別に嫌いになってしまうわけではないし、今でも地元に帰れば何人かと会ったり遊んだりするけど、「毎日じゃなくてもよくない?」というのは常に引っかかっていたし、今も引っかかっている。毎日ずっと同じ環境、何が楽しいのか。怒りやあきれではなく、単純な疑問。

幼少期に漠然と思っていた「環境変わるのなんか楽しい!」は、大学進学をきっかけに別のもっと明確なものへと変わった。
「世界が広がるのが楽しい」。そう思い始めたのだ。


エッセイっぽい文体になってきた。


小学生の時は、近所の友達が自分の世界のすべてだった。
中学生の時は、もう少し遠くの友達も含めて世界が構成された。
高校生の時は、同じ学力で集められて世界はまとまりを帯びていった。

大学生になり一人上洛(京都に行くことを上洛というらしいですよ)し、友達なんか誰もいない。観光客ばっかり。漫才でしか聞いたことない関西弁。誰ひとり知らない大学の同級生。低い建物。等間隔のカップル。やたら道がきれいな繁華街。茶色いマクドナルド。自分でやらないと進まない家事。

月並みな感想にはなるが「目に映るすべてが新しかった」。だせぇ。

だせぇが、ほんとうにそれがとても楽しかった。
学生時代の功績は無に帰し、人間関係はまっさら。何を始めようが、誰とつるもうが、今まで積み重ねてきたものを気にするのは自分自身以外は誰もいない環境。楽しすぎる。

帰り道いつも同じメンバーで帰る必要も、毎週土日は決まったメンバーで集まって部活をやる必要も、家に帰って必ず家族と顔を合わせる必要もなくなった。

完全に余談だが、中学の友達(物理を専攻した後院進し、オーロラの研究をしていたらしい。少し話を聞いたけど意味が分からなかった)とオンライン飲み会をしたときに、同じ人間と関わり続けることで世界が狭まる話で共感した。オーロラの研究してるやつも考えることは同じなのか、と変に安心した。

新しく出会った人の全く新しい過去、価値観、言葉遣い、ふるまいに触れて自分の精神が拡張されていく感覚。非常に内的な興味だったのではたから見たらただの内省的なパーソナリティの人間だが、僕自身かなり楽しんでいた。

何となく心理学を専攻した理由とつながりそうですがつながりません。
他人に興味があるという点ではつながるのかも。

そんな性格なので、関東に住み始めて早3年。毎日仕事を続けてそれなりの成果を上げ(社会的には雑魚ですが)、順調に金を稼ぐ能力を伸ばし始めた僕は、変わり映えの無いルーティンの生活や凝り固まった人間関係に飽きてきている。というわけで海外に住みたい。

とても外向的な人間に思えるけど、真逆です。
僕は他人と関わることで自分がどう変わるかということを楽しんでいる、内向的性格の極みみたいな性格です。

じゃなかったらこんなに自分の過去や性格の分析を書き連ねたりはしないでしょう。

ここまで書いてきて気付いたけど、別に海外行かなくてもいいじゃんね。国内で引っ越しとか、人間関係の洗い替えとかで今のこのわだかまりは解消できる気がする。

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