生き返りました

なにも肉体ごと死んでいた訳ではないけれど、割とそれに近い生活をしていました。
一日一食プラスバームクーヘンみたいな。夜中に目は覚めるし、ぼーっとするし、なんか気持ち悪いし。

こういう時の原因って1つではないから、何かを身の回りから消せばどうにかなるなんてものでもない。まあ本来何かに悩んで気を病むのがベーシックコースと言ったところなので、いまいちこの感じは納得された記憶が無い。

今回も色々なものが一気に来ていた。現場が単純に忙しい、上司からのプレッシャー、後輩育成という立場、25歳になってしまったこと、、、100点満点中58点位のつらさのものが4個くらい来て、232点くらいのつらさで生きてきていた、まあよく生きていたと思う。

1個1個を分解していくと現場が忙しいのは一過性のもの、上司からのプレッシャーは気にしなければいい話、後輩は勝手に育つと言った感じで、どう抗っても救えないつらさは25歳を迎えたことくらいだろう。本当につらい。まだつらい。

25歳と言えば、青年とは言えないにせよ世間的にはまだまだ若くて、人生の可能性はこれから広がっていくような年齢だろうなとは思う。
ネガポジの話は置いておいて、僕の身の回りでは緩やかに結婚ラッシュが来ている。そんな歳か……と思う反面、もうその決断をしたのかと、周りの決断力の高さや思い切りなんかを感じている。

決断が苦手だ。
これだ!と決めてしまうと、それ以外の可能性を自ら全て閉ざしてしまう。そういう性格だから、決断をしてしまうことは僕にとって、あるかもしれない未来の自分を殺すことと大差はない。
自分の決めたことを重く捉えず、嫌になったらやめればいいし違うなと思ったらやり直せばいいんだけど、どうにもそう器用に生きられない。
僕は器用に生きられる人が本当に羨ましい。
いい具合に嘘をつき、ちょうどよく不真面目で、2つや3つ人に言えないことを持って生きているような人に出会うと、もう本当に自分のことが嫌になって仕方がなくなる。
自分なんて、という思考にこそならないけど、なんでこんななんだろうなと、自分や親を責めるでもなくただただ悲しさと寂しさに溺れていく。

とはいえ、性格なんてのはそうそう直らない。直したい直したいとずっと思っていて、行動に移す勇気すらないのだからきっともう救いようはないのかもしれない。
正直なところ自分の性格はまだ受け入れもできない。親のいいつけもおばあちゃんの知恵袋も、今じゃ完全に無視して生きていて、そんなことを親もおばあちゃんも知らずで、果たしてこれでいいのかと片隅で思いつつ、それでも何も変わらない。こういうことを考えていると、段々と自分があまりに不器用で親不孝で不甲斐ない人間だということが、嫌でも浮き彫りになってしまう。

僕を支えてくれる歌なんかではなく、逆に、こんな歌のように生きられたらどんなにいいだろうという曲。
何度でも生まれ変わって行けるような。現状をかなぐり捨てて生活を変えられるような。そんな暮らしがあるかもしれないから、何事もなかなか決断できないのよ。

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