若さは美しいけれど美しさは若さではない。
昨日ヘルタースケルターを観ていた。(多分5回目くらい)
その劇中に出てくるこの「若さは美しいけれど美しさは若さではない」という言葉が好きだ。
人間の欲望が生々しくて、美への執着がすごくて、なんだか毎回考えさせられる。そう思うのも、学生時代にそれで苦しんでいた友人が近くにいたせいかもしれない。
彼女はとてつもなく可愛かった。周りにどんなに可愛いね、と言われようと姫のように扱われようと満たされることはなくて。全身絶えず整形を続けていた。
可愛さを消費して生きるのって辛い。
自分が望んで可愛くなろうとしているのに、それをアイデンティティに生きているはずなのに、結局そこを評価されたりすることに対して「私の本当の部分は何も知らないくせに」と外見を褒められることに対しての一抹の不安を抱く。
そんな可愛くて、脆くて、か弱い友人に囲まれて学生時代を過ごした私は、とにかく強くなろうとした。
自分の外見がどうかは置いといて、そこで生きるのってしんどいなって。
自分がどんなに年老いても、どんなに今以上に醜くなっても、それでも「人として周囲に必要とされる人になりたい」。そう思い心の決めたのは20歳の時だった。
何が大切なのかわからなくなる毎日の中で、何が起こるかわからないこの激動の毎日の中で。他人に評価されてようといなかろうと、何が起きても自分の芯を愛せるように。
日々小さな成功体験を積み重ねていくしかない。
そしてそんな風に思える人をまずは一番近いところから、そんな人を増やしていきたいと思う。
自分と向き合う強さを持ちましょうぞ!
ではまた🙃
金井
ありがたやありがたや・・・