「トイザらスに売ってないならそんなおもちゃは世の中にない」と親から言われた時期が確かにあったのだ

規格外のおもちゃ屋さんが僕の街にやってきた

小5くらいの頃だったか、「名取の方にトイザらスというアメリカ生まれのデカいおもちゃ屋があるらしい」と聞いて、家族で行って、そのスケールに圧倒されたのを、今でも覚えています。

私が小学生の頃といえば平成の初期も初期。今は亡きハローマックがまだ元気で、個人経営の街のおもちゃ屋さんもそこかしらにありました。
おもちゃ屋といえばそのくらいの規模がスタンダードだと思っていた中で、デパートのような大きな建物で売ってるものが全部おもちゃだと聞いたら、小学生だったら落ち着いていられないのも当然でしょう。
37歳を間近に控えた今でもテンション上がるんだし。

やがて、そんなトイザらスが実家に近い仙台市泉区にもやってきました。
それまであったジャスコの跡地で、トイザらス以外にもスーパーやらゲーセンやらが組み合わさった複合施設であり、名取ほどトイザらス単体の規模は大きくなかったと思うも、あのトイザらスが地元にやってきたとあっては興奮を抑えられず、よく遊びにいきました。

で、本題。

小6か中1くらいの頃、当然ネットはなく、物知りな近所のお兄ちゃんもいなかったので、ゲーム情報はすべてファミマガ(ファミリーコンピュータマガジン:徳間書店刊)に頼っていたんですが、ある日それで見た新作ソフトの中で、何故かゲームボーイの将棋ゲームが無性に欲しくなりました。
何か目覚ましい機能が実装されていたような気もするけど、そんな事はなく、今思い返してみても、何が理由で欲しくなったのかピンとこないんですが、確かに欲しかったのです。

当時はもちろんバイトも何もしていなかったし、何でもない日にゲームソフトをねだれるほど裕福な家庭でもなかったので、これはクリスマスか誕生日に買ってもらおうという事で、心待ちにしていました。
ちなみにサンタさんに関しては明確にいつ種明かしをされたというのもなく、気がついた頃には「クリスマスプレゼント何がいい?」と親から聞かれてました。なんなら冒頭の名取のトイザらスに行ったくだりも、クリスマスプレゼントとしてロックマン5を買ってもらう流れでしたし。

…が、トイザらスに行っても、ゲームが置いてない。

きっと売り切れたのかもしれないと思うも、しかし売り切れの札すらない。もしかしたら発売日が延期になったのかもしれないけど、何しろファミマガでもページの1/8くらいでちんまりと紹介されていた程度のゲームなので、延期になったのかどうかも分からない。

あるんだよ!新発売の!ゲームボーイの将棋が!他の店、もっと専門店の方を探してみようよ!将監のTVパニックとか、台原のカメレオンクラブとか!
…と散々ゴネる息子に、母が言い放った一言が、タイトルにも挙げているそれでした。

「トイザらスにないならそんなゲーム(おもちゃ)はない」

流石に四半世紀くらい過ぎて、当時の母に年が近くなってきてようやく「適当な事を言って早くこの不毛なおもちゃ探しを終えたかったのでは?」という新説も浮上してきたんですが、しかし当時の私は「違うんだよ、ゲームはそういうんじゃないんだよ」からの「大人はわかってくれねえ!」と、ちょっとした反抗期の兆しを見せたのでした。

ちなみに何てゲームだったの?

しばらく正確なタイトルすら忘れてしまい、あとは年代の勘違いもあって、ネットが普及した後にもたまに思い出して調べても、それらしいタイトルが見つからなかったんですが、ようやくわかりました。

イマジニアが1994年に発売した「本将棋」です。多分。

紹介記事:https://www.sara-net.jp/?p=25377
Amazon:https://www.amazon.co.jp/dp/B000069T1M

…本当に発売してたんだ…。しかもこの数年後に私がドハマりする「メルティランサー」の発売元、イマジニアだったとは。

このソフト、やっぱりというかなんというか、目覚ましい機能はやっぱりないわ、しかもCPUが弱いわときて、かなり地味だったようで、全然情報がありませんでした。

1994年という発売年から推測するに、当時私は小6で、だとすると将棋クラブに所属していたので、多分その流れかもしれません。
同時期発売のゲームといえば、名作どころで「マザー2」「スーパードンキーコング」「かまいたちの夜」「ドラゴンボールZ超武闘伝3」「サムライスピリッツ」、当時から好きなコンパチヒーロー系でも「ザ・グレイトバトル4」「バトルサッカー2」、さらに言えば同じ将棋ゲームでももう少しネームバリューのあった「将棋最強」すらあったというのに、よりによって何でこれを選び、しかも執拗に食い下がり、今もそれを覚えているのか、全く分かりません。

「大型量販店にないものは(存在し)ない」

そんなわけで、今思えばただの方便だったのかもしれないという新説もあるこの言葉、今ではあり得ない話ですが、当時とするとそれが当たり前だったと言っても過言じゃなかったのです。
だからこそつい最近まで、そんな新説すらなかったんですが。

何しろ何がどのくらいどこから出ているのか、情報がない。
情報がないものは存在しないと思うのがそりゃあ常ってもので、大型量販店からしたら売れる見込みのないものは入荷しないでしょうし、物流に乗らないものは入荷のしようがないでしょうが。

今はネットがあるから、家にいながら「あるもの」と「ないもの」が分かるようになりましたし、大型量販店になくても何とかして取り寄せる方法ができました。
最近も、20年以上前にコミックボンボンで読んで欲しかったCDが、何だかんだでオークションや通販で買えたりしました。

かつてあんな事を言っていた母もスマホでネットを楽しんでいる令和2年。
そんな事あったなあと思い出してnoteにしたためたのでした。

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