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トヨタ産業技術記念館に行った話

せっかく名古屋に来たのだから、色々行ってみたい。
ということで、名古屋駅近くのハコモノに行ってきた。
トヨタ産業技術記念館である。

入場料は、驚異の500円だった。
24年4月1日からは1000円に値上げされるらしいが、仮に1000円でも十分に行く価値のある空間だった。

ここは、トヨタ自動車というよりもトヨタグループの歴史が展示されていた。
だいたい半分は源流企業である豊田自動織機について、残り半分は今の稼ぎ頭であるトヨタ自動車についてだ。

繊維機械館

ここに行くまでは正直、豊田自動織機についてはフォークリフトが主要セグメントであるくらいしか知らなかった。
名前の通り、織機からはじまった企業なのだとは理解していたが、そのくらいだった。
ここでは、木綿からどう糸を生成するか、その後、織機でどうやって織物を作っていくかが丁寧に実物を使って解説されていた。

木綿がどのように収集されるのか、今日初めて視覚的に理解した。
また、他の素材も展示されており、化学素材の多くは石油を原材料にしていたが、自然由来のものにそっくりだった。
個人的には、絹が一番艶があって綺麗だと思った(蚕は気持ち悪いと思ってしまうが)。

木綿から糸を作る工程も、糸から織物を作る過程も、少しずつ機械の改良を重ねて便利になっていた。
自身に織物の経験があれば、もっと理解できたし感動もしたのだろうと勿体ない気持ちにもなった。
機械と書いたが、感覚的にはカラクリという感じだった。
エンジニアは、今も昔も人間の業務を機械に置き換えて生産性を高める仕事なのだなと思った。

織機も自動車もカメラもそうであるが、日本には優秀なエンジニアがいたのだなと再確認した。
それら優秀な過去のエンジニアの貯金を平成、令和と食いつぶしているような気がした。
いや、恐らく現代日本にも優秀なエンジニアは存在しているはずだ。
それはFAロボットを設計する人だったり、町工場で世界的に有名なネジをつくっていたりするのだろう。
だが、それらは何か上流の商品を作り出すための一部だ。
織機は織物を作成するための最上流であるし、自動車はあらゆる部品を組み込んだ最上流の商品だ。
こうなってくると、中流や下流で実力のあるエンジニアは目立たないのかもしれないと思う。
それと同時に各産業の最上流を押さえにいくトヨタグループの戦略は流石だなと感じた。
これは草創期から天才的エンジニアの発明だけではなく、しっかりとした戦略を練ることができる人間がチームにいたことを示しているようだ。
ただ、豊田佐吉は国で特許の仕組みが整えられたことを知った後に発明を目指す(勝負する)ことを決めたという記載があり、彼自身が結構な戦略家であったのだろうとも思う。

一方で、最上流でなくても世界に存在感を示す方法もある。
例えば、TSMCは上流でなくても下流で圧倒的な地位を作り上げることで、今はグローバルな有名企業だ。

令和の世では、エンジニアはもっぱらシステムエンジニアになった。
エンジニアの活躍の舞台がシステムに移ってから日本には世界的な発明家はいないと思っている(サトシナカモトは日本人か?)。
何故だろうか。
世の中にはこのテーマで多くの分析があるが、今日ふと思ったのは、「この国が十分に豊かになったから」かもしれないと思った。
昭和までは、日本は世界に追いつくために、豊かになるために、人の業務を機械化しようと本気で取り組んだし、他国の技術を徹底的に研究してそれを超えていこうと努力した。
このような時代に活躍した人々の幼少期は、食べ物も満足には無かっただろうし、親の肉体労働を手伝ったりで大学まで進学することが難しかったりしただろう。
恵まれない時代と言えばそうかもしれないが、そんな過酷な状況だからこそ、少数でも目の色が違う人間が育っていたのかもしれない。
対して今の若い世代(~40歳とか?)は、特に不自由な思いをしていないのではないか。
何も不自由がないということはなかったにしても、目の色が変わるとか、現状を何が何でも変えてやるとかいうハングリー精神を持つことは困難であったように思う。
それはそれで幸せな時代なのは間違いないが、これからこの国はどうやって国民を食べさせていくのかは深刻な問題だと思う(各産業の最上流で市場シェアを保てないとジリ貧)。
ただ、それで不自由な時代に逆戻りすれば、また世界をひっくり返すような人間がこの国から生まれてくるのかもしれない(母数減で先の時代よりも少数になるかも)。

自動車館

繊維産業の説明は不意に終わり、金属加工の紹介がはじまった。
唐突で驚いたが、自動車館に進むためには必要らしい。
まず、鋳造という工程をライブで説明してもらった。
小さい金属の棒を1000℃以上に熱してから1000トン以上のプレス機でプレスする。
そうすると、金型の通りに鉄が形を変えている。
こうやって自動車部品も作られているのだそうだ。
トヨタ自動車グループに愛知製鋼という会社があるが、その会社の存在理由をここで理解した。
それと同時に、あの鉄の素材はどうやって作られているのか疑問を持った。

日本製自動車の歴史は模倣からはじまる。
豊田喜一郎が海外視察で自動車に衝撃をうけ、フォード車などを購入して解体・分析したことが最初だ。
ここで織機で稼いだお金を自動車部に投資できたことが大きい。
そうでなければ、今頃日本の自動車産業は育っておらず、飛行機や宇宙産業のようにアメリカやヨーロッパに好き放題されていたかもしれない。

トヨタグループの組織図を見て改めて感じたが、自動車産業は本当に裾野が広い。
事実、日本の労働人口の一割は自動車産業に関わっているらしい。
ただ、自動車輸出量のトップが中国になったというニュースもあり、継続的に自動車産業でこの国が食べていけるのかは不透明だ。

まとめ

うだうだと書きなぐったが、繊維機械館の隅にスペースが設けられていた豊田佐吉の考え方の展示が印象に残っている。
織機の発明は一筋縄ではいかず、両親含めて周囲からは辞めるように言われたそうだが、それでもやり抜いた粘り強さが今のトヨタグループにつながっていると思う。
自分の感性と実力を信じ抜ける強さが大切なのだ(豊田佐吉の研究とか伝記あたりも面白そう)。

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