2024年10月前半
ぐっと秋が深まってきた。それなのに夏日がちょこちょこ入る。
季節ワープに馴れないなぁと思いつつ、
さらに非日常なことが多くて、時間感覚がおかしくなっている。
単なる記憶喪失か?
先週のことがずっと昔のような、時間の隔たりをことさら強く感じる。
あのときの私はどこへ?
あのときの私はだれ?
20241001 Tue.
昨日、東京から新青森経由で移動し、弘前で迎えた朝。
■
朝読書会。持参してきたPCの出番。ホテルからつなぐ。
参照資料がオンライン上にあるため、Zoom by スマホでは間に合わない。思いPCを引きずってきて、いつもの通り参加できて良かった。
前回話をしていた2つのシステム(=2人)がひとつのシステムとして動いて成果を出したという話、そのシステムを現わす図解には蝶が描かれている。これについて、2人がそれぞれ変容してあらたなシステムを成した、ということをコメントしてくれた人が居た。そうかもしれない。それまでの彼女とも違った、それまでの私とも違った。
□
7:30終了後にホテルの朝食へ。せんべい汁だ。何か豚肉の脂身?みたいに見えたものが、ふやけたせんべいだった。
美味しい。
今朝はやらねばならぬことがある。
資格試験申し込みが10/2までで、旅行前に出来なかったので、出先で行おうと思っていたのに、やばい、学科試験免除のための”一部免除番号”を控えてこなかった。電話して確認できると有難いのだが。
■
今日の本題は岩木山。そのためにレンタカーも借りた。
フリーパスでここまで来て、JR東日本を自在に使って動ける。でもまずは岩木山だ。
いままで何度か弘前にきてかなり気に入っている街だけれど、岩木山はいつも遠くから眺めるだけだった。
弘前市内から。アソベの森に来るとよく話をきいた山。五能線で秋田へ向かったり、反対に弘前へ入ってくるときに見える山。
だけど上まで行ったことはない。桜の時期は、それはそれは見事な桜並木が続くという。いまは紅葉の時期だという。
ということで、レンタカーで岩木山へ向かう。頂上へ向う前にまずは岩木山神社へ寄り、この場所へ来られたことのお礼をお伝えし、山に入っていくことへのお許しをお願いしてこよう。
大きな鳥居をくぐると、古く幅広い参道が奥へ向かっている。参道の脇には松が植わっている。途中、しめ縄がかかった五本松があった。根本から5本にわかれて幹が育っている。手を合わせ、また、歩き始めたら、足元になにか・・・左から右へぬらぬらと動くものが。へびが穴に入っていく。
「うわぁ、驚いた」
思わず声をあげた。
私の前を歩んで、出雲式に二礼四拍手一礼をしていた青いデニムのワンピースを着た女性が振り向いて、
「踏まなくて良かったです」
と声をかけてくださった。
ご存知だったんだ。きっと声をかけると驚くだろうと思って、言わずに気にしていてくださったのだろう。ほっと一息つく。
黒っぽいへびだった。神社で黒いへびってどんな意味があるのかな。
古い雰囲気のある神社。
広くて、木々が自然に感じられて素朴に感じる。
禊所と札がある先、参道からはずれたところに手水場。背丈の半分くらいありそうなずいぶん長い柄杓。
お詣りしてからあちこり写真を撮った。お天気がよく青空がバック。美しい。これは餓鬼なのか? 狛犬ではない。ユーモラス。
■
いよいよ岩木山へ。山を周回する道路をさらに1/4くらい進み、有料ドライブウェイを目指す。
途中、リンゴの木が沢山植わっている。赤や黄のリンゴ。わぁカワイイ。
□
運転しつつ頭に浮かんできたことは、仕事をしていたときの、自分と周囲のスタンスの違いだ。そのことについて、誕生日や本来の定年退職日を過ぎて、先週・今週の読書会での話を思い出し、スタンスの違いがクリアに見えたという思いが湧き上がってきた。
ああ、私はシステムとして仕事することを、グリーン的なスタイルでやったんだな、それをオレンジ的あるいはアンバー的な人達には評価できなかったんだ。そのことがじわじわと言語化されてきた。今朝読書会で、複数のシステムが絡んだ図版に蝶が描いてあるのは、そこに変容があったということから、確かに私も相手も変容したのだとハッキリ思えた。当時、そのような感覚ではいたし、彼らに起きていることが理解できないんだなという思いはあったけれど、ハッキリ言葉にできず周囲にも説明できなかった。
しかし当時、言葉で説明したとしても、それは理解されなかっただろう。オレンジはグリーンのことが本当には理解できないものだから。
そしてもうひとつ。それは再現性のあるものではない。つまり誰とでも実現出来るものではない、ということも頭のなかを巡った。
□
外の景色は、岩木山の裾野がつねにみえて、産直販売所がちらほら、嶽こしという旗、路駐している車が散見された。
後から知ったのだが、このあたりはトウモロコシの産地だそうだ。その直売や焼きトウモロコシ販売していて、それがTV番組でも取材されているとのこと。
津軽岩木スカイラインの入口まで来た。
その料金所。ICカードではなく有人料金所だった。
「1830円です。リフトは今日は定休日ですが。」
えっ?
でもここまで来て上がらないわけないでしょう。
「はい、わかりました。行きます」
このように沢山カーブがあります。と教えてくれる。
69もカーブがある。でも最も山の形を崩さず、ふもとからの景観を守った結果のルートなんだろう。
8合目の駐車場まで何度もカーブを曲がりながら、黄色や赤に色づいた葉、赤い実を探しながら飽きずに上がる。最初はいくつカーブがあるか、実は知らずに走っていた。数えようか? いや絶対わからなくなるだろう。見ればカーブ毎に番号札が建っている。
40を過ぎると、ところどころのカーブで下界が見える。後ろから来る車はなく、すれ違う車も3台くらいだったか。途中で停まって写真を撮りたくなるようなところだった。それでもまずは登ろうと先へ進む。
カーブごとに次はどんな景色が見えるだろうか?
68まで目視した。でも最後、もうひとつあったらしい。
そしてだだっぴろい駐車場。確かに広い平野が見える。
で、8合目の駐車場に到着。
ここから9合目まではリフトが動いているはずだった。9合目まで行き、そこから頂上まで上がるかは、そのとき考えようと思っていた。しかし今日リフトは休業。
今日は岩木山がメイン。ここまで来て上がらないわけにいかない。
□
駐車場の脇にリフトの乗り場がひっそりとある。
誰かが「母がどうかなといいつつ、行けるところまで、といって、結局登ったんだよね」との声が聞こえた。と、思ったがそれはウェブサイトに記載されていたエピソードだ。YAMAPでは初級、2時間と書いてある。行ってみるか、ダメなら引き返そう。
展望か風よけのためのシンプルな建物があり、一応そこでお手洗いを済ませた。無人。がらんとしている。入口のガラスのドアに、緊急連絡先が書いてある。電波が届きにくいらしいが、何かの時のためにその電話番号をスマホに登録した。
水がペットボトルに半分くらい。飴が3,4個、チョコレートが2個。おにぎりでも持ってくるべきだったなぁ、でも登山するつもりは全く無かったのだから仕方ないと思いながら、歩き始めたのが11時頃。
登り始めると、最初から道は狭く、土と石が連なり油断すると滑りそうだし、不規則な道だった。
うーむ、大丈夫か?
でもここで引き返す理由はない。とりあえず一歩は進められるのだから。
どこまで私は歩くだろう。8合目から9合目まで行き、本来のロープウェイの終着点まで行ったとき、そこから頂上まで登る気になるだろうか? もともとはそうするつもりだったわけだよね?
歩き出すと暑い。
帽子、持ってこなかった。日焼け止め、それも塗っていない。
まったくの無防備。
靴はスニーカーだし、足首が出るような八分丈のジーンズ。サッシュのような斜め掛けポシェット。
本当ならこれは山用の靴に、山ウェアを来てきたほうがいいんだろうな。
たまに降りてくる人とスレ違う。だいたいは山歩きスタイルだ。
「こんにちは、わたしゆっくりなので、どうぞお先に」
「いや~思ったより大変だった」
とおじいさん
「お気をつけて」
「こんにちは、どうぞお先に」
ゆっくり気を付けながら降りる、近い年齢と思しき女性2人。
「Hello」
年配のイギリス人らしき夫婦。
「I didn't know the ropeway is closed today」
「Yeah, so we walked」奥さんのほうがちょっとゆっくり歩いてくる
「And after you,I’m walking」
笑い合い、
「Have a good day」
「You too」
1/3か半分くらい来たところですれ違った若い外国人カップルは太い木の杖を突いていた。オーストラリア人かなぁ。元気そう。
「Hello」
「That stick is very nise」
「Yeah,… Do you have it?」
と差し出してくれる。
「No, thanks! It's OK.Down way is continue」
「Yeah」
「Have a good day」
装備なく登るので、日本人の下山者に会った時は、ちょっと言い訳した。リフトがお休みだったので、準備なく登り始めたのです。大丈夫でしょうかなど。30-40歳くらいの女性二人は、ゆっくり行けば大丈夫と言ってくれた。
~~~ああ、これはこれからの人生、ここまでの人生、私の人生なのかな、いや私に限らず、人生というものはこういうもの、なのかなと思う。
一歩一歩、地道に進むしかない。
何かこれをしようと、目標を立ててやってうまくいくことは少なく、目の前を一歩一歩やっていく、その結果、たどり着けないと思っていたところへ行けたり、視界が開けるといいなぁ、そんなふうであればいいなぁと。
一歩一歩歩いているときは、全く先の展開がわからない。むしろ地味、むしろ怖さが出てくる。
滑りそうな道、枯葉が溜っているところ、石のうえに砂利があるようなところ、とりあえず登っているけれど、帰りは大丈夫だろうか? たまたま、前日雨ではなかったので濡れてはいないけれど。私の脚は、8月にも尻もちをついたように、どうも右脚が安定しない。ちゃんと重心がのっかっていないのか、骨盤の使い方が悪いのか、大丈夫だろうか?
もし転んだら、足をくじいたら、流血したら? そうなっても駐車場まで降りないことには助けてもらえないだろう。
後で載せる写真の通り、本当に大変だった。これは絶対初級ではない。中級だよ。今日は天気がよく、途中から適度に風が吹いてくれて、登るには絶好の日よりだった。こうでなければ歩けなかった。
YAMAPは2時間というけれど、登るのに2時間かかった。
なんとか登ると、広い山頂には2,3組の人達。
360度開けているので、みんな別な方角を見ている。
気をつけて降りるものの怖い。
下る途中、9合目でオジサンと立ち話をした。どこから来たかという話からその人は吉祥寺に住んでいるとのこと。神社からずっと歩いてきて今から頂上へ行くという。すごいなぁ。余裕の60代という方だった。
転ばないようゆっくりゆっくり降りている私は、人の2倍、3倍の時間がかかっているのだろう。下山して、あと1/3くらいのときに、先ほどお喋りした吉祥寺の人が追いついてきた。どうぞ先行ってくださいというと、先へ進むが、時々休憩していて私が追いつく。初心者が歩いているのを見守りしてくれてるんだろうか?と疑問を持つ。2回目か3回目のとき、
「ここまでどうやって来ました?」
レンタカーで来たと伝えると、帰り、神社のあたりまで連れて行ってほしいという。ははーん、ヒッチハイクみたいなもんだな。
見知らぬオジサンだが、たぶん大丈夫。
「いいですよ。でも私、歩くのが遅いのでお待たせしてしまいますが、それでもいいですか?」
全く構わぬそうだ。
どれだけ待っていたかわからないけれど、駐車場で会えたので、助手席に乗ってもらい神社まで送り届けた。面白いことがあるもんだ。
■
山を無事降りてまた電話してみる。
資格試験、朝電話したら、かかるのにぷつっと切れたのだ。
夕方電話しても同じく、かかるのにぷつっと切れる。
関連する別部署に連絡してからまたかけたら、今度は繋がった。
で、教えてもらった。
必要な一次試験免除のための個別番号。
ホテルに戻りPC画面にそれをインプットした・・・とき、そのセルを選択したら・・・記憶されていて表示された。
なんやねん。
よかった。10/2締切のところ前日に無事申込完了。
■
戻る途中の直売所で、リンゴを買った。ほかにお惣菜。
レンタカー返却予定17時より少し回ったが、17:30前に返せた。ほっとする。朝出発するときに、17時頃は帰宅ラッシュで弘前駅周辺は混みますよ、と言われていた。16時過ぎまで岩木山にいて、そこから1時間ほどかけて戻ったので、返却時間から送れること必至。念のため電話をしたら閉店までに戻れば大丈夫ですよ、と若干忙しいのに迷惑っぽい返事だった。
閉店時間を確認していなかったなぁと思いつつ、まぁ大丈夫でしょうと、慌てず戻る。
朝の段階では岩木山の後、どこに行くか考えなきゃと思っていたけれどフルに岩木山になったなぁ。
夜ごはんはリンゴとさっき買ったお惣菜。
20241002 Wed.
筋肉痛
小雨&曇。
今日も東横INNの煎餅汁を朝いただいて、乗り鉄。
黒石
終点まで見たけれど、天気予報通りの小雨が降り始め、街はどんより人も少ない。昨日買ったリンゴが重くて、通りがかった郵便局でゆうパックを出す。
街並みがここの自慢らしい。
黒石は無計画にいったので今日はイマイチ、弘前まで引き返した。ちなみにこの路線はJRパスからは外れていた。往復940円。
弘前から特急で青森へ進み(自由席なら特急にパスだけで乗れるところがいいところ)、そこから青い森鉄道に乗車。これは元々東北本線だった在来線で、地元が引き受けている。青森県内は青い森鉄道、岩手県は岩手銀河鉄道。その先、福島県にもつながっている。
どうしようかなと相変わらずの無計画状態。パスの利点に気づき始め、浅虫温泉で途中下車することに。目当ては、道の駅にある展望風呂。ここで昨日思いがけずした登山の筋肉痛を労わる。
入浴料360円。曇っているし、お風呂の高い温度でガラス窓は曇っているけれど、陸奥湾に浮かぶ島も見える。というか、ここが陸奥湾なんだと思うだけで嬉しくなってくる。
次の電車まで間隔があるので、たっぷり浸かって行こう。地元、といっても青森のおばさんとお喋り。どこから来た人がわからないけれど、青森はお嫁に来たんだって。お嬢さんと来たこともあるけれど、最近は一人で来るんだって。バスが無料なのでちょうどよい気晴らしコースらしい。
ホカホカしたところで、道の駅でお土産の地元菓子を買い、ソフトクリームを食べてちょうど次の電車時刻に。
野辺地駅で下車。民俗資料館がある。歩いて20分くらいかかる。1時間半くらいの間に見学して戻ってくる必要がある。
とても小さい施設だが、土器を触らせてくれて、前期・中期・後期といった時代ごとに土器の厚さや重さがどう変化しているのか体感できる。縄模様を粘土に押し付ける道具も展示してあり実際に仕える。
縄文遺跡コーナーのほかに、北前船の記録、江戸末期から明治にかけて廃藩置県を行ったときの地域の変遷なども展示されている。地域の図書館や公的機関と同じ区画にある。
陸奥湾は、ホタテが有名だ。ホタテ貝が5年かけてここまで大きくなる、という貝殻の標本が面白かった。
>ホタテ写真
本多静六は神宮外苑の話にも関連する人だ。街路樹や公園など、ヨーロッパで学んだ樹木の生活への活用を日本各地に織り込んでいった。
こんなふうに小さな駅で下車して立ち寄れるのは、パスのおかげ。
この辺りへ来たのは、津軽半島で希望した宿を取れなかったから。そして下北半島を回るには、時間が足りないから。やはり本来のJRパスを生かして乗り鉄することを優先したからだ。
そして宿は、八戸にある東急INN。
良心的な宿屋ほど安いわけでもない、高級ホテルのような居心地があるわけでもない、だけど7100円という中等レベルの宿泊費と、朝ごはんが充実していること、部屋数がありだいたい予約できる。つまりは割と私にフィットした選択肢なのかもしれない。
■
ホテルで新聞を置いていた。無料でいただける。
「陸奥新聞」
組閣の一覧や、石破首相の概略・地元の評判など丁寧な記事が載っている。全国新聞よりむしろ丁寧ではないか?
それにしても、三原じゅん子、ついに閣僚になった。
私達世代にとっては不良役のタレント。それが自民党で立候補したことに驚いたが、ここまで来るとは。知名度をこのような形で活かす。それもひとつの方法ですよね・・・。
閣僚の写真が冴えない。
なんだか石破首相がシャキッとしていないように見えるけど。どうしてだろう? (これは後にシャツはみ出し修正がなされた)
■
八戸は、東京・京都と並び早くから図書館が機能していた町なのだそうだ。八戸駅にも駅ロータリー脇に図書館の分室のような場所があった。数席の個人勉強スペース、閲覧ベンチ、CDやDVD・絵本・郷土資料・雑誌・実用書などの棚が並んでいる。図書館スタッフも2,3人いる。
こんなふうに身近に生活の動線上で利用できるのはいいことだな。
>写真
20241003 Thu.
八戸は、中学の国語の先生が住んでいるところ。
同窓会のために封書で連絡を取ったら現金書留をくださった。
事前に連絡したらお会いできたかもしれないが、急に決めたし、何を話していいかも少々困る。でも行ってみると、案外近くに住んでいらっしゃるようだった。
八戸駅近なホテルを出て、★★★鉄道。
昨日目についた鮫駅で降りて、八戸市営バスうみねこ号で海岸線を走る。種差海岸で下車してそこから遊歩道を戻って来よう。天気は曇り。
そんな計画。
種差海岸と読むのか。曇っているのが残念だけれど、傘をささなくてもなんとかなるので、ありがたい。
ここは東日本大震災の被害を受けている場所。
ここでは楽しい出会いがあった。
八戸駅から鮫駅までくる間の2両の電車がとても混雑していた。それは幼稚園・中学校2校の社外活動が重なったかららしく、まさにぎゅーぎゅーの満員列車だったのだ。園児同士が前の人につかまり、幼児らしく満員列車に耐えながら皆いい子にしていた。
中学生は制服が2種類あった。鮫駅で降りた私。園児たちはまだ乗っていて、どうやら少し先の白浜駅で降りるらしい。鮫駅で電車に連動した時間に出発する市営うみねこ号に進むと、2つの中学校の生徒も乗っている。
そのとき、2人掛けで隣り合わせた中学生がお喋りしてくれる人で、★★
もっと八戸を探索したい気もするが、海鮮丼を食べる元気はなく、青い森鉄道+IGRいわて銀河鉄道を乗り継いで、盛岡へ。
この二つの民営化路線は、もともと東北本線だったところ。
暇人度合を発揮して、盛岡から在来線で仙台まで乗り継ぐことにした。新幹線ならば1時間程度ですぐ行けるけれど、景色が面白くない。一関からはもう暗くなっていて、景色が見えないので在来線に乗っている価値がないなぁとは思ったが、Google Mapを見てあたりの様子を推察したり、乗客をみて土地の雰囲気を感じとろうとした。目的がありそうで、実効的なものはない時間。
盛岡と仙台では、スタバに寄り、これで岩手県と宮城県のスタンプをゲットし、来た甲斐があったことにした。
23時過ぎに帰宅。
JRパスは5日間有効。4日間使ったところで帰宅。
20241004 Fri.
弘前のレンタカーについて、アンケートに答えた時、コメント欄に対応してもらって良かったエピソードを書いた。
そしたらそのエリアのまとめ役の方からお礼メールが届いた。珍しい。
■
夕方、ネイルを塗ってもらう。何年ぶりだろう。
同窓会が2週連続であり、指先くらいきれいにしておこうと思って。
終わってから性懲りもなく、1日有効期間が残っていたパスを使って、宇都宮まで新幹線往復。目的は書くのも恥ずかしいがスタバでスタンプをもらうことだ。これで栃木県のスタンプをゲット。アホやなぁ。
ネイルを塗った後は3時間くらい、爪を乾かしたほうがいいからねぇ。新幹線に乗って本を読んだり景色を眺めているのはピッタリ。・・・という理由でもないけれど、行ってみたら案外宇都宮は遠い。
■
駅のスタバは、金曜日ということもあり、仕事帰りの女性友達、サラリーマンのおじさん一人、男同士でのお喋りなど、いろいろな人がいた。この雰囲気好きだなぁ。仕事を終えて、一息つく。リラックス全開でもなく、何となく仕事の余韻を携えた表情、話題。
あとは群馬県のスタンプを来月ゲットしたら、あと関東は茨城県だけだ。住んでいると案外生きにくい栃木・群馬・茨城。
朝から気づいていたら一筆書きのように栃木と茨城をJRで辿ることもできたけれど、かなり時間がかかる。まぁこれでいいでしょう。
20241005 Sat.
高校の学年大同窓会。
こちらは(中学とちがって)一参加者。あんまり行きたくないなぁと思っていたけれど、せっかくの機会、前向きに行って来ようと参加。来てみてよかった。
かなり感動したし、楽しかった。
クラス毎にテーブルに着席するスタイル。学年の半分くらいが出席しているため、1クラスが2テーブルに分かれる。
I君と、隣の席で沢山話をした。在学中はおそらくお喋りしたことのない人。
同窓会の進行は、特別なプログラムはない。それでも開始冒頭や校歌など、音声入りの動画を用意してくれていて感心してしまった。同級生にフジテレビアナウンサーがいたのか。500人以上もいて、たいして交友関係が広いわけでもない私は全く知らなかったけれど、その人が現役高校生と組んで放送風な冒頭動画を作ってくれていた。高校に正式に申し入れして実現した、行内写真や放送風動画だったらしい。企画力すごいな。
その動画を作るにあたっては、同じ水泳部にいたI君(二番目)が、番組制作会社を経営していて、そのおかげで作れたそうだ。かなり彼が尽力してくれたらしい。すごいな。
お開きの頃に、別なクラスのまた別なI君(三番目)とやっと会えた。彼は来週の中学同窓会にも来てくれることになっていて、会えたらなぜかお互いハグしていた。これまで同窓会に中高とも来てなかった彼が今回は両方出席するのだ。中高ではカッコいい系の存在だったから、ハグなんてことは当時絶対にない。
さらに帰りのエレベーターで、私が好きだった3人と同じエレベーターだった(笑)。
また同じクラスに多くの男性の心を捉えていたマドンナ。その人はどこか私のことを気に入ってくれていた。そのマドンナと再会し、私も好きだったので、お互い会いたかった、会えてよかった~と手を取り合い写真を撮った。
中学と違い、高校の友人はその後の付き合いが私の場合はあまりない。そんな点での出会いだけれど、会うととても深い何かが交流しているような感覚になる。
3時間半の同窓会のなかで、一番私が興奮したのは、校歌斉唱だった。自分でもおかしいのだけれど、なんだこれ? 国歌を唄って高揚するような、そんな高揚感を校歌を歌いながら感じるなんて、あまり私らしくない。それなのに、確実に嬉しかった。快感を感じていた。
3番まである校歌。ブラスバンド部の演奏による伴奏が流れ、その演奏がとてもシャープでカッコよかったし、2番だけちょっとリズムが変化しているなかなか素晴らしい校歌なのだ。それを大きな声で歌う快感。
私はナショナリストではないよね、と思いつつ、快感を感じる自分。
ああ、この高校で過ごしてよかったんだなと思うのであった。
■
同窓会の二次会には出ずに、別な友人の還暦コンサートへ。
一緒に聴いた友人二人は65歳、63歳。
演奏している方は、50才のころ、会社を早期退職して自分で会社を興した。クラシックに造形が深く、味わいのある演奏をする方。アマチュアとしてかなりの腕前。
その方が自分が演奏を時々するほかに、メインとして、演奏の撮影・録音業務を行い、傍らで演奏会企画プロデュースを行ってこられた。決して起業家的な雰囲気のある方ではないのだが、むしろ研究者っぽい素養と経験を活かして、ビジネスは順調。コロナのときも、ビジネスを大きく変えることなく伸ばしてこられた。
今日はそのような10年の歩み、そして還暦を祝いつつ、アンコールに、奥様やお嬢さんとの共演を披露されてこの方の豊かな世界を垣間見ることになった。
とても同い年に見えない。巨匠みたいだ。
20241006 Sun.
昨日の余韻で、今日はスロースタート
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BBC記事 ナスララ師殺害される。
報復の応酬。これにピリオドはない。
当事者は、それぞれの国や宗教のリーダーという役割を一生懸命遂行しているわけよね。でもその役割に埋没している。
20241007 Mon.
久々にやってしまった。取り置きしてもらっている予約本を受け取りにいったら、図書館の閉館日だった。
夜、映画を見に行った。
静かな
“a human position” ノルウェーの映画。
万人向けではないけれど、静かに変化していく主人公女性(20代か30代)や、街の景色が良かった。
台所にまるままのスイカがあり、それをカットして朝ごはんに食べているシーン。ノルウェーみたいな北欧でもスイカを食べるのかとちょっと面白かった。
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コロコロローラーで、腰や太もも、肩回りなど一日何度もほぐしていたら、やっと1日の山登りの筋肉痛が取れてきた感覚になった。今日は7日だけどね。
20241008 Tue.
朝読書会があるのに、二度寝して遅刻。まぁいいか。すっかり筋肉痛が取れて身体が快適。
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ほぼ1日雨。
少し家の中を片付ける。
運動不足のため、夜、炭酸水を買いに歩いて20分のお店まで行ってきた。
20241009 Wed.
ガザから1年。もう1年?
マヒしているのだろうか。
もっと短いような感覚がしている。
ウクライナが2022年2月。ガザは、ウクライナから2年経たないうちに始まったのか・・・2023年10月。
■
首相、記者会見。
この人は「全身全霊で取り組む」を日に何度言うのだろう?
なんでもかんでも全身全霊?
日本創生、根本から変えるってなにをもってそう言っているの? 根本って何を変えて何を変えないの?
・人々の生活より、アメリカとの関係性やそれに紐づく国としての国防・攻撃を重視していないか?
・私達の生活は、戦争や大きな災害のような根こそぎ変化を強いられると太刀打ちができない。
・そのうえで生活がある。
・しかし生活をきちんとして、丁寧に社会をつくっていくことで健全な国家が作られるのではないか。国防に費用をかければかけるほど安心できるのではない。
・
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袴田さんに関する控訴しない正式手続きが取られた。
生きておられて良かった。
お姉さんが素晴らしい。そのエネルギー。90歳。
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良く知らないけれど、大谷がいきなり三振となるとか、パドレスすごいな、ダルビッシュもすごいな。
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膝や、腰からふくらはぎ・膝への神経がよくない。どうしたらいいだろうか。何が起きているか。
きっと筋肉の柔軟性か筋力が影響しているだろう。
一旦、山登りの筋肉痛が取れて、筋が良く伸びたような気がするけれど、神経痛みたいな違和感がふくらはぎに出る。
20241010 Thu.
今日は「体育の日」として馴染んでいた日。変えない方がいいのになぁ。
実家で、だいぶ伸びた枝を切って束ねる/落ち葉を掃く。芝生が伸びていて、これはもう一度、芝刈りをしないとまずそうだ。いままで50年くらい一度も成らなかった柿の木に実が出来た。10個くらいありそう。一番熟した日当たりのよい場所にある柿は、すでに鳥が食べていた。
20241011 Fri.
映画、『荒野に希望の灯をともす』
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帰ってきてニュースが耳に入った。日本の被団協がノーベル平和賞を受賞。
生存している被爆者がだんだん少なくなったり、追加認定のニュースが流れるなか、ノーベル平和賞を受賞したということはとても大きなインパクトがある。平和の国として政府が行ってもいいところを、被団協が行っている。
・核兵器廃絶 条約の
核の危機が迫っているいま、世界のなかでも重要度が高いということではないか。
もうひとつ、声を大にして当人たちにも言葉にしてもらいたいし、ノーベル賞を受ける意義は、攻撃に攻撃で応えない、ということだ。原爆を落とされた恨みを形にしていったらこうはならない。痛み・恨み・辛さ・理不尽さ、それらを越えて、世界平和を目指すための原水爆禁止活動に至ったことを、このニュースをきいたみんなの頭に、描いてもらいたい。
■
土壇場で、明日行う中学同窓会の写真共有方法について幹事内で話がまとまった。よかった!!!
20241012 Sat.
中学同窓会。
開始1時間半前に幹事は集合。会場で最後の打ち合わせと、受付セッティングなど行う。幹事の一部は会場手前のカフェで事前の事前打ち合わせをしていたらしい。
中学生のときは、それほど話す間柄でなくても、ここまで幹事会をやってくると挨拶もスムーズというか、お互いまぁまぁわかっているので「やぁやぁ」という関係になりやすい。本当に親しいかどうかは別として、薄い面での付き合いはできるという感覚。けっしてそれはネガティブな意味でなく、接触しやすいという感じ。
直前に打合せでは、写真共有方法/今日の流れ/急遽決まった三次会のこと/最後の幹事会(幹事打ち上げ、会計〆)の日程決めを行なった。受付を整えているとちょうど受付時間に。徐々に人が集まってくる。
会場は3階にあり、エレベーターが開くと、その前に受付がある。こちらとしてはエレベーターの扉があくと、すぐ来た人の表情がわかる。参加する人にとっては、ちょっと驚きかもしれない。でもその驚きの顏もまだいいもんだ。受付は会場内にあるので、そのままみんな歓談になる。
一番最初に来た人には、全員が「おーっ」と拍手。これはいいねぇ。大歓迎だ。その後数人、大歓迎が続く。
自然と、建物入口でエレベーターを案内する人と、エレベーターボーイがついてくれて、参加者にとってスムーズな入りになる。
誰かまた来た。帽子を被っているあの女性は?と思ったら、社会科の先生だ! 生徒と先生の区別がつきにくいぞ! もうひとりの女性の先生は、私達のクラス担任だった家庭科の先生。この先生も生徒と見分けがつかない、というか、髪の毛をロングで染めているので、ショートでグレーヘアの私より若く見えるかもしれない。
そんな驚きもいちいち楽しい。
名札には大きく太く名前が印刷されているので、顏をみて「なんか会ったことあるな~」と思って名前が出なくても、そのまま視線を下に落として名前を見ると「おーっ」となる。
1学年10クラス400人位、そのうち120人位が来ると、在校時知らない人もいる。お互い、うーん、初めてだよね、という会話となる。
二次会から来た某社役員となったT君。私は中一のとき、この人のことを好きだったなぁ。というか、好きかどうかわからないのだが、周囲からは好きが見え見えだったらしい。
どういう人なのか、いまもよくわからないが、テーブルの向こうで別な人と喋っているなかでも、こちらを目が合うと、何となく受容するというか無視しない視線が返ってくる。不思議だ。
20241013 Sun.
元々は、この日から読書会メンバーの予定が会い、旅行するはずだったのだけれど、皆が先に初めて私が今日から参加することに予定が変わった。まぁハワイから来ている人の予定があるからそうなることも想定されていたことだ。
読書会していた『縄文聖地巡礼』で取り上げられている場所へ実際私達も行ってみようという企画だ。私達は元々オンラインで始まったご縁だが、リアル対面は熊野の地だった。旅が馴染む間柄なのだ。
DAY1福井
6時過ぎの新幹線に無事乗車し、9:30過ぎに同行する3人と敦賀駅で落ち合う。敦賀駅は新幹線駅が大きく、そこから渡り廊下のような通路を通って在来線まで5分近くかかった。友人達は在来線の改札手前で待っていてくれて、歓声があがる。
気比神社の一の鳥居で、現地叔父さんにつかまった。面白いことを教えてくれるかなと耳を傾けると止まらない、止まらない。
教えてもらったこと
・気比神社ではなく気比神宮。神社系のなかでも神宮と名がつくのは一定の格式以上のみである。
・皇室と関係が深い。だから菊の御紋(皇室)、そして葵の御紋(徳川)がある。
・天皇が和歌を詠んだことにちなみ、お月見の名所でもある
・天皇に併せてお宮の正面を変えて、いまのように街に開ける位置取りとして発展に貢献した。古い鳥居は敷地内に放射状にいくつか残っている。
・狛犬は時代時代により形が異なる。通常右が「あ」(口を開いて牙を剝いている)左が「うん」(口を閉じている)だが、逆のものもある。中にはスフィンクスのように見える形もある
・鳥居の下のヨコ柱が飛び出していると男性、飛び出ていないと女性の神を主神として祀っている
・お宮本殿の屋根に渡る丸木が奇数だと男性神、偶数だと女性神
・しかし鳥居が女性なのに丸木が奇数ということもあり、両性具有というか神様なので性別が無い、という場合もある。
・湧き水が手水につかわれていて、その水を一杯飲むと長命になる。でも沢山欲張るとそうはならない。
これらを聞いていると、地元古来の神と、そこに皇室への献上や皇室からの重用があり、各士気を高めてきたことが感じ取れる。
このあたり皇室への意識が高いんだなぁ。それに乗じて、徳川家もここに力をかけて民を収めようとしたのだな。北陸はお寺の力がつよく、一向一揆が盛んだった。それを収めるためにも重要なお宮だったらしい。
説明してくれるオジサンの勢いや情報の多さにやられて、後半げんなりしてきた。茶屋で、湧き水を使ったカキ氷(抹茶)を食べて身体と頭を冷やした。そこにいた地元の女性が
「どこへこれからいくのですか」
と声をかけてくれて、私達が見落としていて手近で良さそうなところをプッシュしてくれた。ここまで来て海まで行くつもりが無かったけれど、赤レンガ倉庫(横浜みたい)へ行く。北前船文化があるところだ。
サバも地元の推し素材で、私はサバの
常宮神社。感じの良い地元で大事にされてきた神社。
ただし、振り返ると海越しに関西電力の火力発電所が見える。このあたりは、原発もある。その見える景色のギャップがなんともいえない。
常宮神社
古来のもの。自然を大事にする文化と、極端に科学重視した技術や産業が顔を突き合わせている。ここのいにしえから伝わる暮らしが、実は原発マネーで潤いを得ている。
突き出た半島のような場所から、小浜方向へ進み、三方五湖にある縄文博物館と年縞博物館へ。もともと縄文がメインテーマであり、その隣にある年縞博物館がとてもいいと聞いて、2時間くらいの間に精力的に見て回った。
縄文博物館では、福井に沢山古墳があること
年縞博物館はすごく面白かった。
1年に0.45mm積もる。7万年で45m。
レインボーラインで若狭湾や三方五湖を高いところから見渡す。瀬戸内とも違う、海岸線が入り組んだ風景。ちょうど夕暮れ時でとても美しかった。
宿は海辺にある釣り客も泊まるような桟橋が目の前の宿「やまや」
若桜町遊子. 遊子海岸は夏の海水浴で大勢集まる場所らしい。
日の入りが過ぎても、まだ夕空の美しい色合いが残っている。途中のレインボーラインでゆっくりしてしまったので、宿のおかみが「一番景色のよい部屋にしました」と2階真ん中の部屋の景色を見せてくれた時、ちょっと意に沿えていなくて申し訳ないと思ったが、十分美しい。
そして夕飯はとっても美味しい。
20241014 Mon.
DAY2 福井
神宮寺~鵜の瀬~彦神社・姫神社~そば(売り切れ)~敦賀駅~ランチ(お好み焼き)~駅近ちえなみき~東横INN敦賀~スタバ
朝みんな6時前に起きていて、2人は散歩に出かけた。私ともう一人は部屋の窓辺に座って、光の加減がかわっていく風景を見ながらお喋りしていた。朝日は背中方向から上がってくる。
もっと時間が進むと、太陽の光が島や半島に直接照らされる。
三方五湖の道の駅へ寄り、梅の加工品などをお土産にした。
今日のメインは、奈良へお水送りする神宮寺。
急いで敦賀駅に戻り、友人を送り出したあと、ランチ時間を外れていたのでありつけたのはお好み焼きだった。
駅の隣にある"ちえなみき"という複合施設。
カフェやお土産のほか、本のスペースがとても素晴らしい。松岡正剛さんの事務所も企画に関わっているそうだ。
ここで昨日は、能登支援に行っているボランティアの人達が、重機を使ってペットボトルのお茶を紙カップにつぐパフォーマンスが素晴らしかった。能登の復興をみんなにアピールする方法として見事。
>にわとり写真
20241015 Tue.
みんなと一緒の旅は昨日まで。
今日からは北陸フリーパスを活かして興味のある場所へ行く一人旅。
DAY3 福井
敦賀駅~武生駅~紙の里~大瀧神社・岡太神社~そば(うるしや)~散策~武生駅~敦賀駅~富山駅
東横INN敦賀を出発 ハピライン福井(旧・・・本線)で武生へ。ここで紙の博物館や紙の神様を祀った神社に行こう、武生駅周辺では越前蕎麦を食べよう。午後時間が余るようなら鯖江にも行ってみよう。今晩はこのあたりにもう一泊か、富山へ抜けるか、どちらかだな。
そのくらいのラフな状態で出発した。
そもそも武生って読めないし、タケオじゃないんだ。
武生と越前町ってどういうこと? このあたり越前町なのに、駅名は武生なんです。
駅に降りて、まず観光案内所で地図をもらう。武生を歩いてまわるにはどうしたらいいか。係の人に尋ねると近場を回る地図と、ちょっと遠くの地図がある。紙の里は遠くの地図なのだそうだ。そして紙の里にいくには、足が必要で、そこまで500円のチケットで行ってくれるという。往復で2枚買っておけばいい。そこでチケットを買い、タクシー乗り場へ。
すでに二人待っていて、タクシーは居ない。どれだけ時間がかかるのか? 小さい町だからかなり待つのか? ちょっと不安になるが待ってみた。10分かからずにぽつん、ぽつんと来て3台目。乗れた。
紙の里まで、と伝えると、ちゃんと観光客相手の風情に運転手さんが話してくれた。
・武生というのは、昔からの土地の名前。越前町というのは平成の大合併でふたつの町がほぼ対等合併してできた自治体。ここは越前の国府があったから。(はい、そこはいまの大河でわかる、まひろのお父さんが
・越前の国府は駅前にある、町役場のあたりにあったらしい。
紙の里まで約20分? 田んぼや蕎麦畑の間を通って
このあたりで気分転換というと、大瀧神社へ行くとおっしゃる。私も行きますよと。ぜひその本殿の裏も見てくださいと。
でも初詣は、織田家が代々神官をつとめる神社へいくそうだ。
紙の里へ着くと、なんだ、公開している博物館や施設は今日は休館日らしい。調べてこなかった私がわるいが、神社に行くからいいや。
造幣局工場がここにあったのか。
跡地は全くそれとわからない。
大瀧神社・岡太神社は、紙の神様を祀っている。
正しくは岡太神社なのかもしれないが、地元の八幡様と3つセットで、お社が並んでいるのだ。
神社敷地に入る手前に、大瀧神社・岡太神社と連名の揮毫を掘った石が格式を現わしている。これは1940年頃、横山大観が揮毫したそうだ。ここの越前でつくる紙があってこそ、自分の日本画が描けるということで感謝の意味らしい。
>写真
みごとな本殿。
でも後ろに顔があると言われたけれど、はて?
もしかして奥宮のこと?
この本殿後ろは、確かにすごいけど、顏?
この後、奥宮まで行き、それは大変な道のりだった。
□
まもなく神社の敷地に入るという手前に、紙すきを営む工房があった。
この家にだけ伝わる方法で作っていらっしゃる。しばらく絶えていた方法を復活させたそうだ。
帰りはまたタクシーを呼んで、500円チケットで武生駅近くのお蕎麦屋さんを目的地にしてもらった。降りるとき見るとメーターは3600円くらいだった。なんて使いでがある。500円チケットのことを教えてくれたNさん、観光案内所の方、どうもありがとう。
タクシー待ちの間に、富山駅近くの東横INNに宿を取った。福井から新幹線自由席で約1時間。これで今晩の寝床を確保した。
お昼時間をはずれてお店へ入ると、他に一組のカップル。通し営業してくれて助かった。越前そば、嬉しいなぁ、どんなお蕎麦だろう? 老舗のお蕎麦、美味しかったけれど、これがおろしそば?とも思った。いわゆる大根おろしのようなものはなく、そば汁に辛味があるのだ。水で割るのでなく大根おろし汁で割っているのか?
駅まで戻る前に、公園近くのスタバへ寄ってみる。きれいな公園でメリーゴーランドがあったり、大きなトランポリンがある。なんだかここだけ贅沢空間に見える。来ている人達も余裕があるというか。
これって、福井県の原発マネーが為していることなのだろうか?
駅へ向かいがてら、少し回り道して、卍辻、たんす通り、蔵の辻などを通過した。
卍辻は面白い。
福井は深いなぁ。
簡単には分からない。
その深さに疲れてもう降参です、という気持ちで、今晩は富山へ逃れた。富山は好きな街。何度か来ているので、どこか居心地良さそうなところを巡り、お寿司を食べて大人しく帰ろう。
ということで、東横INN富山に宿泊。
富山はインバウンド、日本人観光、仕事などで宿泊者が多いようだ。
旅の途中でブツ切れとなりました。パスの有効期限は4日間。あと1日。
(後日この前半の記載も加筆修正します…はなはだ未完成)
秋のいい気候のもと、初の福井県訪問を果たせて嬉しい。
残りの未踏県は、岐阜・滋賀・香川・高知・宮崎・大分かなぁ。
まだ宿泊していないと未踏県という定義でカウントしている。
運よく豪雨などの災害とぶつからなかったことも感謝。
その地の雰囲気・成り立ちを味わい、好きなところを見つけたい。
人生は旅だ。
代わり映えのしない生活も実は変化があり、長い道のりを旅している。
他者の目で自分の生活を見るためにも、よそを見てくることは役に立つ。
秋になって、そんな風に頭が動くようになった。