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物販を終えてWEBライターを始めるまでにしていたこと

私は、2020年の4月に物販を辞めて2021年の1月にWEBライターをスタートさせました。ではその間に何をしていたのでしょうか?本日は、4月~10月の出来事についてお伝えします。

通信制大学を卒業する

私は2020年の9月に通信制大学を卒業しました。実は、2017年の10月に日本大学通信教育部法学部法律学科に入学していたのです。本来、大学に入学すると1年生からスタートですが、私は専門学校に入っていたので3年生からの編入学でした。本業と副業をしながら勉強もしていたので、正直きつかったですね。
ただ、2020年の4月に行われた科目習得試験で最後の科目を合格して晴れて2020年9月に卒業できたわけです。そのため、実際勉強していた期間は4月までということになります。

宅地建物取引士の勉強を始める

法律系の学科を出ていたので、何か法律系の資格を取りたいなと考えていました。行政書士や司法書士などの資格を考えていたのですが、結果的に「宅地建物取引士」の勉強を6月から始めました。宅地建物取引士にしようと考えた理由は下記の3つです。
・一生食っていける資格(不動産業界)
・10月の試験日までに勉強できそう
・法律系資格の登竜門
宅建士は不動産業界で重宝されるので、「職に困っても働く口はあるな」と思ったのと、「10月の試験日までに勉強できそうだな」と思ったのが要因です。

私は通信講座を利用して勉強を始めました。本来宅建士は独学でも合格できるのですが、試験日まで4か月半しかないということ、通信のほうが過去問題が多いことを踏まえて通信講座に入ることを決意しました。フォーサイトの通信講座を利用していたのですが、講師の方が私と同じ苗字だったので、妙に親近感が湧いたのを覚えています。

勉強はとにかくテキストと過去問の往復です。ひたすらテキストを見て、過去問といて分からなければテキストに戻っていました。時々、一問一答も行って知識を定着化させていたましたね。

毎日仕事前と仕事後の3~4時間、休みの日は8時間ほど勉強していました。携帯を触らないように専用の箱に入れて勉強してましたね笑

途中でくじけそうになった時は、通信講座の先生に疑問を聞いたり、何も考えず遊んだりして乗り切っていました。

そして、運命の10月18日試験当日。会場は、金沢星稜大学です。金沢星稜大学は、あの星稜高校と同じ学校法人が運営している大学です。試験会場へは車を利用してはならず、公共交通機関のみの移動でした。

会場には約1,000人ほどが集まりました。ちなみに、宅建士は全国で20万人以上が受ける超人気資格になります。今回は新型コロナウイルスの感染を考慮して、10月と12月に分かれて試験が行われたのですね。12月の人も入れたら石川県だけで約1,500人ほどが受講したことになります。

私の席は、一番後ろでした。新型コロナウイルスの感染防止のため窓を全開にしていたので、めちゃくちゃ寒かったです笑
時間は2時間で50問の問題、毎年合格点は異なりますが37~39点以上取れていればまず大丈夫と言われていました。

しかし、今回の試験。問題見て瞬間にかんたんだなと思ったのです。かんたんというと語弊がありますが、ひねりや難しい問題が少ない印象でした。

試験が終わって、各予備校が合格点を推理していきます。やはり合格点は高く38点~40点ほどと言われていました。
私は自己採点で39点~40点ほどだったので(マークが間違っていなければ)「うわー、ぎりぎり」と思ったのを覚えています。

そして、運命の合格発表の日。その日は朝から仕事に向かっていて9時の速報を見るために携帯を開きっぱなしでした。

結果がでて、自分の受験番号を探していきます。「あれ、ない、ない」と探していたら見る方向を間違えていたようで(横ではなく縦)無事見つけました。

「やったーーー」と思わずガッツポーズしました。
令和2年の宅建士合格点は38点、合格率17.6%でした。この合格点は過去6年でもっとも高い数字になります。それだけ今年は試験がやさしく、平均点が上がったということでしょう。

その後、不動産適正取引推進機構から正式に合格証明書が届いて、晴れて合格になったわけです。

これが、4月~10月までの出来事です。次回は、11月~WEBライターを始めた1月の出来事を記事にしたいと思います。最後までご覧いただきありがとうございます。

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