サービス残業というか無給労働

サービス残業。言葉からして意味不明だが、コイツは今日に至るまでも平然と世の中でまかり通っている。
サービスというと、なんだか良いイメージがある。だがはっきり言えば無給労働で、しかもそのほとんどが実際に働く者たちの意思により行われているとされている。

以前にTwitterで「サービス残業という名前がそもそも悪い、サービスとか良い響きに聞こえる言葉で誤魔化さないでちゃんと無給労働だと言うべきだ!」という主張を見かけたが、あの時ほどイイねボタンが無限に押せたら良いなと思った日は無かった。

誤魔化しというか、騙しというか。とにかく聞こえの良い言葉に置き換えてしまうことで、まるで良い事をしているかのように思わせる。こういう悪癖が蔓延っているせいで、何人もの人たちが無給労働を強いられている。

今回の現場でも、その傾向はかなり見られた。

ボクの知り合いにとても真面目で熱心で、仕事にも遊びにも全力な素晴らしい男性がいる。頑張り過ぎて空回る事も多々あれど、彼の生き方は何も間違っていないと思う。正直、尊敬する。
だがしかし、彼は強いられてか自発的にか、よくサービス残業をする。いや、言い方をちゃんと変えておかなくては。彼はよく無給労働をする。
その姿勢たるや、やはり意欲的で熱心な好青年であり、周りの評価も自ずとそうなる。だが、それは前述した通りの社会の闇で、彼自身には何の利益も無い無給残業により、潤うのは唯々元請けのクソ会社だけなのだ。

こういう話をすると「そういう熱心な姿勢を見せる事がキミの評価を上げるんだから」とか言い出す輩が現れるが、時間内で成績を出せる人間と時間超過しないと成績を上げられない人間と、どちらが本当に優れているだろうか。
ブラック慣れした古いタイプの社会人は、しばしばこの簡単な計算が出来ず、無給労働をしてまで会社に尽くしてくれたという状況だけを高く評価してしまう。

無給労働とは、ある種の魔法のようなものだ。成果の有る無し関係無く、相手に対して一つ評価するべきポイントを与えてしまう。もし何も頑張らずに成果に辿り着いた人間がいて、まったく同時期にありえない量の無給労働を経て同じ成果を上げた人間がいたら、誰もが後者を高く評価するだろう。

これが良くない。

対価を貰わないで働く、滅私奉公の極みたる無償の労働。それを「人間的評価」だとか「後に繋がる」とか聞こえの良い話にすり替えて、むしろ美徳としてきた古い風習。これは害悪であり、これを許してはならない。

対価を得ずに働いて評価を上げようとするのも良くないし、それを良しとして対価を払わないままに評価だけする輩も良くない。
本当に評価されるべきは時間内できちんと成果を上げられる者であり、それに対して報酬が見合った分与えられないのは完全に間違っている。

無給労働、早くみんな気が付いて根絶されて欲しいと願う。

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