スナック昭和 第18回 中森明菜~DESIREとニュー・キモノ

第18回 中森明菜特集(2020年2月18日、ミラティブにて発信)

※注:この記事の内容についての解説は、「スナック昭和 はじめに」をご覧ください。

●「スナック昭和」のコンセプト説明

▽ミラティブ始めて、エモモを使ってVTuberの真似事やらかしながら配信してるけども、中身昭和のおっさんでしかない。なら開き直って、昭和のおっさんにしかでけん配信にしたろということで、エモカラで「昭和の曲」専門で、ほぼ毎晩1曲から数曲ずつ唄うとともに、その曲や歌手に関するエピソードも並行して解説するコンテンツ、スナック昭和。
▽そんな昭和のオッサンにとって、体に堪える寒さ、皆様も体調には気を付けてほしい。
▽環境が環境だけに、配信途中で途切れたり、毎晩とはいかん可能性あり、そこはご容赦を。

中森明菜

▽1965年東京都大田区生まれ、清瀬市育ち。6人きょうだいで5人目だった。妹の中森明穂も女優として活躍していたが、残念ながら昨年5月に亡くなられている。
 1981年、「スター誕生!」で歴代最高得点で合格。11社からのオファーを受け、研音及びワーナーに所属することが決まった経歴をひっさげ、翌82年5月に「スローモーション」でデビューを果たす。
 1980年前~中期のアイドルには、売り出す際に謎のキャッチフレーズ、それも男目線による羞恥プレイのようなフレーズが付けられていた例が多く、中森明菜のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」という、後の彼女を知る者なら担当者を市中引き回しの上獄門に処したくなるようなフレーズで、本人はたいそう苦痛だったという。
 デビュー当時は純白のドレスを纏っていたが、徐々にブラウンや黒、真紅の似合うような「大人の女性」然とした歌手として大成していった。
▽デビュー以降、「少女A」「セカンド・ラブ」「北ウイング」「十戒(1984)」「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」「DESIRE -情熱-」「I MISSED “THE SHOCK”」などのヒット曲を次々に飛ばし、「ザ・ベストテンの女王」と呼ばれるとともに日本レコード大賞を2度受賞。順風満帆に見えた一方でメンタルバランスを崩し、1989年に当時付き合っていたとされる近藤真彦のマンションで自殺を図り、未遂に終わるものの以後1年休業してしまう。
 以後所属レコード会社とのゴタゴタもあり、芸能生活では苦しい局面に立たされる。
 その後は他の歌手のカヴァーアルバムなどで実力を発揮するとともに、1995年頃からはディナーショーでも活躍することとなる。
 このエモカラで本人の唄は「DESIRE -情熱-」だけで、あとは他の歌手のカヴァー曲なのは、おそらくそういった背景があるのではないか。
 以後2010年の「無期限休止」から2013年に復活、以後2017年まで歌手活動を続けてきたが、以降は表舞台からは去り目立った活動はしていない。  
 ちなみに、妹の明穂の葬儀には出席しなかったといい、その背景には家族間の強い確執があったという。


「DESIRE -情熱-」と「ニュー・キモノ」について

▽14枚目のシングルとして1986年に発表された曲。当時、一曲ごとにそのイメージに合わせた衣装がテレビ番組やステージで用意されていたが、この「DESIRE -情熱-」の最大の特徴は、「ニュー・キモノ」と呼ばれたスタイルだったこと。少なくともアイドル時代の彼女の曲の中で、「きもの姿」はこの曲だけ。
▽ニュー・キモノとは、(株)新装大橋の大橋英士代表(現・代表取締役会長)が流行をしかけたもので、当時は振袖や訪問着などのフォーマル需要一辺倒で、今よりはるかに売れていたにもかかわらず閉塞感のあった和装業界において新しい動きを提案すべく生み出されたスタイル。
 「DESIRE―情熱―」ではジャケットにきもの・洋装デザイナーの紫藤尚世のきものを着ており、ステージでもきもの姿でいたいという中森明菜の意向に応じ、眉毛の見えないボブカットにブーツを履き、大島紬調の柄のきものを何重にもぐっさぐさに着て裾をひざ丈のスカートのように纏めたスタイルや、同じく裾をスカートのように纏めつつ、長袖のカットソーを下に着て、下前や左袖が存在しない状態で着たスタイルなど、従来のきものの常識に囚われないスタイリングとして提案していった。
 ちなみに大橋会長は「撫松庵」というブランドを擁し、従来にないゆかたやきもののスタイリングを次々と提案してきた革命児。
 最近でも息子で現代表取締役社長の大橋恒介氏とともに、例えばデニムきものでベルトがパイソンの蛇皮をまるまる一頭分使った帯や、薬莢つきのガンベルト、首や手首にスタッツを施したスタイルなどを発表されるとともに、ゆかたでも「さすが撫松庵」という斬新なスタイルを毎年提案している。

▽ニューキモノは、DESIREの人気を受けて流行し、当時隆盛を誇ったDCブランドからも多数出されたが、着る者を選ぶスタイリングだったこともあり、数年間のブームの後に消え去った。しかし、確かに和装業界に咲き誇った一輪の花だったといえる。
 私自身、大橋会長とは昨年まで毎年お会いしてきたが、その斬新なスタイリングで業界に新風を吹かせる精神は今も変わらない。

セトリ:「DESIRE -情熱-」

補足:

 この記事に出てきた新装大橋さんなんですが、「撫松庵」のゆかたで有名で、斬新なスタイルで人気です。

 昨年2020年は仮にコロナ禍がなくても、東京オリンピックのために警備員を回さねばならないことから花火大会が全国的に中止または延期を余儀なくされ、したがってゆかたの需要は大幅に落ち込む予定でした。

 ところが、状況は事前の予想をはるかに上回り、コロナ禍でオリンピックごと花火大会はおろか夏祭り、その他あらゆるイベントが中止を余儀なくされ、そもそもメインの販売先である百貨店や大型商業施設が満足に開店できない状況で、ゆかた販売は大きく落ち込まざるを得ませんでした。

 今年の商戦がどうなるのか。オリンピックが行われても行われなくても地獄、といった状況の中、「ゆかたリベンジセール」と題したキャンペーンを新春から張っている商社もありますが、一方で一部商社では前年の在庫だけ用意し新作は作らない、としている先もあり、戦々恐々の状態です。

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