落書きに語らせるソイ・シップ
バンコクに滞在して1ヶ月が経った。
タイに来てから、言語化することの大切さを痛感することが多い。どんなに自分が「思った」としても、言葉や他の手段を使わないと、人には伝わらない。
私は、タイの街並みが好きだ。なんだか好きだ。これを伝えたいので、タイの街並みの観察記録を記すことにした。今回は、バンコク・エカマイにて、街中のステッカー及び落書きに注目する。
エカマイは、バンコクの高級住宅地として知られている。日本人が多く暮らすエリアだ。そんなエカマイの10番通り(※)約650メートルを歩き、電信柱と電線回収ボックス(※)に貼られたステッカー及び落書きの観察を行なった。
➖目次➖
1 観察記録
2 混沌を生む文字。生まない文字。
3 ステッカーの生き残りを望んで。
バンコクのエカマイ10番通りを出発したのは、ある夜19時。闇に隠れながら、3時間の夜歩きを行なった。
道路の交通量はかなり多い。通りを横断するのが困難なほど。
観察開始して、はじめに気になったのは、2、3番目の電信柱で見かけたステッカーだ。
「CHEEVIT」はここらの流行り?
タイ人の友人に聞いたところ、タイ語で「life」という意味を持つワードを、アルファベットで表現しているようだ。このロゴは、何に使われているのかはリサーチ出来ていないが…道端の電線回収ボックスの中に「life」があると思うと、なんだか勇気が湧いてくる。
次の二枚は、明らかに広告だが、「街に漂う文字」としてカウントする。
意味はそれぞれ、「これはハーブを利用したシロアリ除去のサービスです」(写真上)、「エアコン、冷蔵庫、洗濯機の修理、洗浄、設置承ります」(写真下)だそうだ。
住宅や薬局の広告をイメージしていたが、予想を上回る実用的な広告だった。
また、こちらも観察対象ではないが、電柱に絡みつく枝を見つけた。カメラを手ブレさせることにより、奇跡的な演出に成功。
そこから数歩先では、上から垂れ下がる枝を発見。手で掴むと、芥川龍之介『蜘蛛の糸』の主人公のようだった。
虫ネタ続きだが、エカマイ 通りの巨大スーパーBIG-Cの前にこんなステッカーがあった。
「HELLO my name is BKK」
検索をかけると、これと同名のショートフィルムがYouTubeにアップされていた。チャンネル名は「Just Wallow Production」である。13年前から音楽つきのショートフィルムを投稿していた。1年前の動画再生回数は千回を超えていた。
本題の動画は、全体で4分52分ある。2分半あたりに注目すると、このステッカーによく似たデザインの虫ステッカーが登場する。
少し鳥肌がたった。どうせどこかのデザイナーさんがビジュアルだけで作ったシールじゃないの?と思っていたが。検索をかけると、シールの主とリアルに繋がれる可能性が感じられた。これからの時代、電柱のシールから「つながる」時代が来るかもしれない。
路面や電線の整備が進んでいない割には、落書きが少ないと感じた。渋谷センター街の方がよっぽど落書きが多い。
「BNE IS HERE」
「BNE」って何?怪盗参上的な?と興味がひかれ、グーグルで検索したところ、路上ペインティングのアーティストが世界各地に残したステッカーと酷似している。2006年よりニューヨーク出身の男性が開始し、東京、サンフランシスコ、ニューヨーク、プラハ、香港、マドリード、クアランプールでも発見されているという。非営利団体「BNE水基金」を立ち上げたことでも、知られている。なんでも、世界でアート活動を行ううちに、水不足に苦しむ人々を目の当たりにしたためだという。
現在はどうしているのだろうか。世界中にシールが確認されているということは、何百人単位の秘密結社ということもありうるのではないか。
モヤモヤだらけだ。
道端で出会ったバイタクの運転手に、落書きは誰が書いているのだろうか、と聞いてみた。
「知らないよ。」と困った顔で言われた。
それから少し行くと、ポスターが剥がれた跡と、その向こうに高級ホテルのビルが見えた。
(ノスタル・ジー)
折り返し地点では、屋台を見つけた。歩道をダイニングとするレストランだ。
タイでは、あちらこちらに屋台がある。バスが通る大きな通りでも、歩道に屋台が出ていることがある。
50バーツ(150円)で、麺料理を買った。
美味かった。
お腹が空いた時、何だかんだ、腹の膨れるもの以外はどうでも良くなる。
何の役に立たないものを観察している場合ではないかもしれない。
ちなみに、道路がレストランに変化するように、電信柱はゴミ置場にも変化するのだった。
帰路につく途中私は、前々日にアユタヤに行ったことを思い出した。アユタヤは、500年前の遺跡が残る街である。
遺跡を観光するには、一つの遺跡につき50バーツ払う必要がある。
アユタヤのような、古代の遺跡や建築物を楽しむときに、何を考えるか。歴史背景を知っている人であれば、それをもとに想像しながら、壮大な建築物や、遺跡を楽しむのではないだろうか。
それならば、もし背景を知らない状態であれば、たとえアユタヤを見ていようと、電信柱を見ていようと、想像の尊さは同じなのではないだろうか。
2 混沌を生む文字。生まない文字。
もしも、落書きの文字も、地図に表示されたらどうみえるのだろうか。情報の強弱もへったくれもなく。
想像してみよう。
混沌の世界だ。
地図に落書きの文字までも書かれていたら、必要とされない情報が多すぎる。看板に書かれているのは、人に向かって発された言葉だ。落書きには、行き先の分からないものがあるではないか。
3 ステッカーの生き残りを見つめて。
今年の6月、タイでは壁に落書きをした米国人の男女2人が逮捕されたという。今後、社がある会の発展に伴って消えていくステッカーや落書きも多いだろう。
落書きや、はるか昔の宣伝文なんて、誰も読まないかもしれない。街を整備していくにあたって、緑を守ろう!という声はあっても、落書きたちを残そう!という声は出てこないだろう。
なぜなら、落書きの声を聞く者が少ないからさささしだ。また、そもそも落書きは人に届けるために書かれているわけではないのではないか。
でも、もしかしたら誰かの心の叫びだったかもしれない。どんなに街が整備されても、落書きは必ず生き残る。落書きがはびこる余白に幸あれ。
最後に、これを読んで「ん?」と思われたでしょうお方へ。
落書きの観察と書いておきながら、ステッカーの話ばかりした。これは、、どういうことなのか。
どういうことだろうねぇ?
※エカマイ 10番通り…このブログタイトル「ソイ・シップ」は10番通りを意味する。
※電線回収ボックス…正式な日本語訳があるはずだが、そういう役割の箱なのでこう呼ぶ。
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