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パトレイバー35周年その3

というか今更だけどパトレイバーの企画の発端や基礎情報を書こう(今更)

この作品の原作はヘッドギアである。ヘッドギアというのは漫画家のゆうきまさみさんと天才出渕裕(メガデザイン)が江古田駅からすぐの千川通り沿いにあったまんが画廊というところでの話しあいが発端になり、そこにシナリオライターの伊藤和典さんと、キャラデザインの高田明美さん、そして最後に押井守が参加した総勢5名のクリエイターグループである。

この5人のヘッドギアが原作としてそもそもメディアミックス展開する企画としてパトレイバーは作られた。

なので、よくある漫画原作と劇場版ぜんぜんちゃうやん、原作レ⚪︎プやん、的な意見はそもそも間違いで、漫画版、OVA版、テレビアニメ版、劇場版、ノベルス版、全て違い、ゆうきまさみさんは原作者ではなく原案者なのである。

正式名称が機動警察パトレイバー、というくらいなので明らかに機動戦士ガンダムを意識している。ガンダムが宇宙が舞台であればこっちは地球である。ガンダムがビームサーベルを振り回せば、パトレイバーは警棒をふりまわす。ガンダムがビームライフルを打てば、パトレイバーはリボルバーの発砲許可を急いで取る。あと流れ弾とかあるので交通整理や交通規制も欠かせない。なんというか、肩にはパトランプ、背中には警視庁、胸には旭日章と、デザインもぶっちゃけクソダサい・・。

という感じで、おそらく当初ゆうきさんはロボットアニメのパロディとして作り、かっこいいガンダムとの落差でクスッと笑えるユーモラスな作品にしようと思っていたのだと思う。

エスタブリッシュメント大嫌いマン押井の目線

さて、このパロディ的な世界観が押井守氏にはどう見えたか。
彼はあけすけにこう言いました。

有人二足歩行のロボットで敵と戦うとか、バカじゃないの?

押井守からみれば、ロボットというのはそもそも自動化、効率化、省人化、省力化のために存在するもののはずである。それがわざわざコックピットに人が載るのである。タイヤとかキャタピラーで移動すればいいのに、わざわざ2本脚でノシノシ歩くのである。これは機械としてはかなり不利だ。オートバランサー機構が付いてないと、歩かせるだけで至難である。
しかもつまずいて転ぼうものなら、パイロットは無事では済まない。下敷きになった家屋の弁済は一体誰がするのだろうか。第一ロボに顔とかいらないだろ。もっとリアルに考えると、あの重量にその辺のアスファルトが耐えられるとも思えず、もう歩くだけで街が破壊されそうだ。

と、不合理の塊である。
よってファンからは「押井守はレイバー嫌い」と言われて久しい。押井さんが演出をするとレイバーの活躍シーンがとっても少ないためだ。

しかし私は別に嫌いなわけではないと思う。こんなの馬鹿馬鹿しいから登場させない、ということは押井さんはやらない。なぜなら、

「こんな不合理なものが存在している、そしてそれを正当化するために大人たちが奔走する」

この事が押井守にとってはとても面白いからである。だから特車2課は警視庁(東京)にしかない。劇場版では毎回解散の危機である。そしてこれも、「秩序の本質はとても狂ってる」という押井守の中心にある感覚とぴったり合うためだ。

劇パト1についてはこの辺にして次は劇パト2であるが、それは折を見てまた書こう(めんどくさくなってきたし)

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