死ねという言葉に聞こえてなければいいなと思う
宿題を忘れた時。バイトでミスをした時。部活でミスをした時。
怒号を飛ばされたこと、少なからずみんなあるんだろうなと思っている。
そんな中でも、些細なことだって上手に受け止めきれずに、自分なんてもういなくなればいいのかなという思考に直結してしまうめんどくさい人間がいる。
死ねという言葉に聞こえてなければいいなと思う。
ことが起こってからでは遅い。守れるはずの命だった。なぜ訓練でできたことが出来なかったのか。
【言われたこともできないなら出来ないなら死んでしまえ】
原因追求は大事だし、それを見聞きした人がどんな言葉を発信しても、悪いことだとは全く思わない。きっと、それで変わっていく世界の方が大切にされるべきだと、私も思う。
ただ、殺したかった訳がない。目の前で命が奪われて、自分を責めない訳がない。
行き場のない感情を背負ってくれる場所は大事。なされるべきことがなされなかったことも事実。
ただ、結果的に便宜上だったとしても、自分の命を賭しても人を守りたい。私にはないそんな志を持った人たちだったのにはきっと変わりない。
そんな人、今この時に、独りでいていいはずはない。
壊れてしまわないだろうか。それとも、壊れてしまえばいいんだろうか。
私は、上手に処理できる人であって欲しいと思う。今はとりあえず、怒りでも、開き直りでもいいから、上手に受け止められる人であって欲しいと思う。そして、そういう人を守ってくれる人が周りにいてくれたらいいなと思う。
全世界から浴びせられる批判ってどんなものだろうって、失くしたものの大きさより、そんなことを考えてる。
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