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味変工夫ジェネレーション / オーバナンモン

text by オーバナンモン
posted on Feb 10,2021


ひつまぶし。最初はそのまま、次は薬味を添えて、最後は出汁をかけてと味変させながら頂く料理。なかなか高価なので頻繁に食べたりは出来ず随分と御無沙汰しているのに言うのもおかしいですがこの味変システムは気持ちを高揚させてくれてとても好きです。

ひつまぶしとはまた違う話ですが私はラーメン屋に行っても備えつけの薬味があれば一通り試してみたくなるし、カキフライが3つあればソース、ケチャップ、タルタルと3種の味で食べたいという欲に駆られます。もうこれは味変を嗜むというよりせっかくなのであれもこれも味わいたいという貧乏性の域なのでしょう。

曲を聴くにしても、最初はそのまま、次はドラムベースに着目し、最後は歌詞カードとにらめっこしてとひつまぶしスタイルで楽しみたいのですが貧乏性の一つなのでしょうか。これもまた味変なのかもしれません。

ケータイもTVゲームも無かった時代〜から始まる話は武田鉄矢式お説教の匂いがするので避けたいとこですが、まあケータイもTVゲームも無かった私の少学校時代の頃の話。通学路で棒きれや針金なんかを拾ったら、これで何か武器作れるんじゃね!つって、おお!ホントだ!やってみようぜ!つって、無限の武器開発作戦が繰り広げられたのですが、そうやって何だかんだと毎日遊びを見つけていた思い出があります。それもいつもの代わり映えしない通学路の中に何か味変を試みたのではないかと今ならその作戦もそれなりの意義があったんだと思えるのです。

人間は単調を嫌う生き物だと聞いたことがあります。何もない真っ白な部屋に閉じ込められたり、例えば穴を掘ってその穴をまた埋めるという生産性の無い単調な仕事をさせられ続けると気が狂ってしまう。

出来ることなら毎日刺激的でなんなら世界一周旅行でもしながら生きていければいいのですがなかなかそうはいかないのが現実です。同じような毎日が繰り返されるとひょっとしたらこれはエンドレス穴掘り穴埋め作業なのかもと疑念を抱くこともあります。

しかし我ら人類にはひつまぶしで学んだ味変という技術があります。薬味や出汁が無くとも視点や発想を切り替えるだけでも単調な生活を味変出来ると思うのです。食卓には一輪の花をかばんには1冊の本を。片田舎の小学生でさえ棒きれと針金で味変に成功しています。同じような毎日の繰り返しと思い込んでしまったらダメなのです。時代は今、味変を求めています。


オーバナンモン_profile

屁理屈とウクレレと時々ギターと歌と愛。 最近は一人で弾き語りや作曲依頼を受けています。


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